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神仏にゆだねる人生

神仏にお任せ~ハンドルを手放すのはどの程度?という質問がありましたが

私が勝手に思う内容を

天部様という神様いるじゃないですか?ダキニ様や弁天様、摩利支天様のように~天とつく方たち。聖天様なんかも。

巷でいうとこの強力に願いをかなえてくれる云々と言われる現生利益が強そうと言われてそうな方たち

 

この方たち、怖いとも言われるじゃないですか

それこそ行者さんなんかも怖がったり、お寺さんによっては聖天様なんかをようう拝まん~ということで厨子があかないように~と言う感じで

拝まずに触れないようにしてるというとこもあるくらいで

一般的に怖いというのは、なんでも叶えてくれそうなので無理難題や、

それは人としていかがでしょう?というような祈願までするようになって結局はその反作用と言いますか、天部様の怒りを買ってどえらいことになる

 

そんな怖さが一般的じゃないですか

私が思うにそれ以外にも祀る行者さんの怖さというのもあると思うのです

 

天部行者となる~と言うことはさっきのどこまでゆだねる~というと

人生すべてをゆだねないとあかんわね~と言うことなのだと思うのです

 

人生すべてをゆだねる=それだけ信じ切ってという図式で

神仏様に人生すべてゆだねたら人生すべてうまくいって願いが叶い放題かというのはこれがまた別問題でして

人間の願いというものと神仏の思いって必ずしも一致してるわけではないのです

神仏目線というものはやはり人間目線とは違いますな

あとは時間の概念も

人間であれば社会的成功や名声、はたまた家庭や経済的豊かさというものがいわゆる幸せの条件の大きな柱じゃないですか

大抵そこを目指して頑張りマッスル!!

 

さて神仏目線でいうとそこが人生の目的かどうかって正直わかんないじゃないですか

もしかしたらそこではないものが実は大事なんだぞ~と思ってるかもしれませんし、時間の概念だって我々人間よりも雄大でしょうから

 

ああ、ジミヘン君ね、今世では家庭よりも他のもの優先だから

家庭は次の次の人生で与えるから今世はまずこちら!

そんな感じかもしれませんし

 

聖天様や飯綱様のようにお顔が人間ではない方たちの方がより人間とは思考が違うと言われてますしね~

そのあたり人生ゆだね切ったけど、私が望むものとは全く別の方向に行ってします、その方向が想像すらできないという怖さもあると思うのです

 

というかそれは人生で一番怖いことですよね???

ただそういう人生も多分最後の最後の臨終の間際に、やっぱ天部様に人生おゆだねして良かったな~

天部様あっての私の人生だった~とそこで人生の帳尻が合うように出来てるとは思うのですが

ただ人間にしたら30年、40年って長いじゃないっすか~

神仏様にしたらあっという間なのだと思いますが

そのあたりの時間の感覚の差はあるのでしょうな~

 

ゆだねて生きるかゆだねずに生きるか、どっちがいいかはそれは知らん、

そこは皆さん次第ですからね~

ただ人生ゆだね切って生きる人は好む好まざるではなく最初からもう決まってるのかもしれないですよね

運勢が強いというやつで、案外自分の自由意思はない人生的な感じで

そういう方はやはりどこかで覚悟を決めてそういう生き方をした方が結果幸せに生きれるのでしょう

 

 

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