人柱は本当にあった!!
橋の工事やお城の建設で人柱を使ったという伝説は多数残ってますが
(丸亀城の豆腐売りのように)
中々資料や発掘調査で人柱の存在が確認されることはない
こちらの大分県日出城の木棺に入れられたろう武士の骨の発掘はとても興味深い
発掘調査時の非公式の資料なんかと合わせてみると、ほぼ人柱だということ!!
おおお~、おおお~、おおお~と私的には大興奮
人柱はありま~す!!ない訳がない!!
饅頭なんかの起源は、古代の中国が龍神に若い女をささげていたのですが
あまりにも惨いということで、人間の頭を模した饅頭というものをささげるようになったくらいなので
ないはずがない!!
ただ日本史的にはなかったことにもなっている
学会というものは当然のことながら資料第一主義
言い伝えがあっても資料に書かれていないことはなかったということ!!
ただ資料第一主義の弊害もある
例えば当たり前すぎる慣習というものは資料(たいていは公家なんかの日記)には書かない
我々だって朝起きたら顔洗いますとは日記に書いたとしても
クレアラシル使って顔洗ってますとは書かない ステマの小森純ちゃんじゃない限り(今更の流れ玉!!)
学問としての歴史となるとクレアラシルなるものの存在はなかったということになるのです(資料に載ってない)
そんな感じの資料第一主義となると、都合の悪いことは案外資料に残さない
呪詛を行ったであったり、狗神なんかを行ったりであったり
人柱なんかを使ったであったり
そんな感じでなかなか人柱が現実にあったということは実証はできないのです!!
(逆に人柱を資料として書き残さなかったのは、同時代の為政者たちも
良いこととは思ってなかったのでしょう)
ちなみにこの記事には福島の磐城平城は、人柱伝説があって人骨も見つかった唯一の城とありますが
人骨が見つかったことがあったんですね!!
もひとつ驚いたのが、人柱も立候補する方がいたということ
旅の僧侶や若い娘さんを無理やりさらったり、はたまた障害のある方を
家族の面倒を今後見るという交換条件で埋める
そんな悲しい物語ばかりと思ってましたが
立候補があるということは、名誉なことでもあったのかも
磐城城の場合は、95歳の老武士が舞を踊ってる間に上から土をかけて生き埋めにしたそうなので
先は短い、自分が生き埋めになることで、家族の生活の保障、
家の未来永劫の存続を殿に認めてもらえるのなら
喜んで名誉の人柱になりましょう!!
そんなことも結構あったかもですね
ちなみにこちらの発掘調査の資料も、同時代の資料(一次資料)ではないので
学会的には人柱としては認めないかもですね~