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正しい煩悩の使い方 煩悩は結果減るもの

煩悩と言うものがある 一般的にはよろしくないものと認識されていますが

ただ人間だもの。煩悩はゼロにはできないと思うのです

 

私なんかが思うに、煩悩=悪と言う認識よりも

煩悩にも良い煩悩と悪い煩悩と言うものがあるくらいの認識の方がよいのでは?と思う

 

もひとつ大事なのが煩悩の使い方

悪い使い方ではなく、良い使い方をした方がいいよね~なのです

煩悩ってある種の人間の行動原理とも言えそうなので

 

生きてる限り、どうせむくむくっと目を覚まして行動に働き掛けちゃうのなら

なるたけ良い方向に使った方がいい

多分どえらいエネルギーを持ったものなので上手に使えば

かなり効果的だと思うのです

 

思春期の一番のテーマである異性にもてたい(最近では異性に限定すると叩かれちゃう風潮あり)

 

これだって、もてるために運動頑張る、勉強頑張る、お洒落頑張る云々と言う自分磨きにどえらい繋がりますからね~

ちょっと道を勘違いしちゃうとオラオラを頑張っちゃってそっちの道にも行きかねないですが

ははは

 

さてそんな煩悩ですが、立派な方々は煩悩を捨てなさいとよくおっしゃる

そのための修業的な

 

私が思うに、煩悩を捨てるということは正直できないと思うのです

捨てるための修行と言うよりも

結果的に煩悩が減っていた生き方や思考や行動と言うものの方が

大事であったりと尊くないか??と思うのです

 

厳しい修行の果てに~と言う人よりも、煩悩が減っていった生き方を自然にしてる人の方が何となくいいじゃん

有難そうじゃんと思ったりなのです

 

ついでに思うのが、だれもが煩悩を無くせば素晴らしい!!ではなく

人それぞれの立場なんかでもやっぱ変わるんだと思う

 

成長期の会社の社長さんや、勝負の世界に生きる若い方なんかは

やはり煩悩がぎらぎらしてる方が、結果につながると思うのです

 

いわゆる達人の爺ちゃん武術家のように

おぬしもまだまだ若いな~ ははは

とか言ってたら、やはり現実の戦いの世界ではあっさりと負けちゃうと思うのです

(昨今の格闘技でいわゆる武術の自称達人たちが、実戦形式の若い格闘家に瞬殺と同じく)

 

もひとつ大事なことは、煩悩を上手に扱える器というものなのです

煩悩に振り回されてる煩悩主体ではなく

我々が煩悩をコントロールする側になる

これがとても大事

 

そのためには、結局煩悩を操れるだけの器、客観視がとても大事だと思うのです

 

わたくしもお仕事柄いろんな方にお会いしてます

どえらい見た目が美しい方、権力やお金を持った方、話す内容を含めて

とても魅力のある方

どえらい頭の良い方、華のある方

弱者ビジネスで不正をしてる方(はネット情報で見かけてるだけ)

 

そんな中でやはり違うよな~と思うのは器が大きい方々なんですな

器って何?と聞かれると、リンダのように困っちゃいますが

 

取りあえずなんでも受け入れられると言いますか

飲み込めちゃう感じではある気はします

 

さてその器ですが、最近特に思うのが、実は器の大きさって生まれ持った要素が大きくないか??

 

結局どれだけ拡げようとしても、限度はあるよな~と思うのです

本当の意味で器がでかい人って生まれつきでかい

そのデカさと言うものが、どのタイミングで表層化するかどうか

 

そんな気がしてならないのです

男も女も、器のない人って、どれだけ努力しても器が拡がるイメージってわかないのです

(厳密にはその人の潜在的に持ってる大きさ以上には)

 

産まれつき将の器云々という表現がありますが

やはりその表現は正しいよな~と思うのです

 

煩悩と言うのも、結局自分の器に見合った大きさの煩悩であれば

幸せに生きれそうですが、そうでない場合は

煩悩と言うものにコントロールされる側に回っちゃうので

なかなかしんどいかもな~

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