馬鹿でのろまなジミヘン君とあざけられること17 回目の人生なわたくし(清宮君のHRと同じ数)
いやいや、下手したら3764回目かもしれない(馬場さんの連続通算出場記録!!)
そんな何一つ自慢するところのないジミヘンさんですが
俺の人生にも一度くらい幸せがあってもいいだろ~と
長州さんの名言の如くたまには自慢させてくれ!!
ギラギラととがっていた革命戦士の頃の長州さん!!
当然向かいあうのはドラゴン藤波(城好き&嫁好き)
ま、そんな自慢できるほどのことではないですが、世のなかには神縁
や仏縁というものがある
実はそれらが分かるというときがあるんです(統失か??)
ははは
特に仏縁が深い方なんかに
〇〇様とか縁ある?云々と聞いたりすると、実は昔から好きだったとか
最近お像やお軸もらったとか、そんな感じで驚かれる
ま、私にしてみたら分からんわけがないのですね~(言い過ぎ)
ははは
何故って簡単な話で、視えるとかというよりも、そろそろ教えたれ~と言う感じでいわれる場合が結構あるのです
ちなみにやはり仏道修行に励まれてたりする方の方がその手のことって
圧倒的に多い
私の感覚でいうと、深い仏縁ってやはり今の人生で結んだというよりも
元々仏縁というのを結んでいて
修行であったり足繁く神社やお寺に通うことによって
縁が表に出てくる
そんな感覚が圧倒的に多い
この辺りはコロンブスの卵と同じで、足繁く通うから表層化するのか
仏縁が元から深いから足繁く通うのかは分かりませんが
(正直どっちでもいい)だいじなのはやはり足繁く通うということ
仏縁というものが深いと聞くと何だか羨ましそうな気もしますが
これはこれで大変そうだな~と思う場合もやはりある
仏さまによっては、やはり修行をさせたがる仏様もやはりいる
修行というと、スピ好きの方達なんかはどこぞの山や滝に言って
そんなイメージ持たれそうですが
どっちかというと、人生の修業という場合の方が圧倒的に多い
ま、山行ったり云々という修行ってあくまでも点、イベントの一つであって、
線ということになればやはり人生そのものを修行にとなるのでしょう
ちなみにそういう人生は、うわ~マジで大変!!となりそうですが
ただ長い目でトータルでみると(それこそ晩年に振り替えると)
なかなか充実した人生だったと思えることが多い気がとてもします
人生の結論なんて、実は死ぬ間際にしかわからんものかもしれない
ちなみに、中には蛇や狐と言ったいわゆる神仏のご眷属とされてる存在とどえらい深い縁がある方なんかもやはりいる
私がいままで見た中では眷属様と縁が深い方というのは
そんなに数はいないんですね~
ただ眷属の場合は可愛がってくれってるという感覚が強い
たいていそういう方の場合は、代々屋敷稲荷を大事に祀っていたり
自分のとこの先祖と非常に縁が深かったりする場合が
圧倒的に多い
もしかしたら家系というものに付き従ってるのかもですね
その家系のなかでも、信心深かったり、かわいくて仕方がない!!
そういう場合に水戸黄門の助さん格さんのように付き従う
そういう場合が多いかもですね
ちなみに眷属でいえばやはり圧倒的に狐さんが多い
これは昔からにほんでは屋敷稲荷やお稲荷さんの屋敷が多かったということも関係するのでしょう
ちなみにお狗さまが守ってるというケースは今まで一人だけしか
見たことがなかったのですが
(犬神のばあいは守ってるとはニュアンスが違い、富を運んでくるために使われてる感覚)
やはり先祖絡みでした
蛇はちょっと特殊かも 弁天様を祀ってたりしても眷属の蛇がついてる
という場合はあんま見たことはないですね~
どちらかというと術的なものを行う家の方についてる
そんな感じが圧倒的に多い感覚があります
この世と霊の世界の橋渡し的に働いてる感覚と言いますか
この世で守るというよりは、より霊的世界の住人に近いかも
もしくは眷属ではなく、低級霊であったり、人間の集合意識が
蛇という形に集まって、そこに意識が縛られる
そんな感じで憑りつかれたかのようになっちゃうような感じは
多いのかも
私の感覚でいえば、その手の狐憑きは狂人的に暴れたり凶暴化
蛇の場合は幻覚や幻聴的な統合失調的に出やすい感覚はありますな
ちなみに祖母から聞いた話では
祖母の田舎では狐憑きや狗神筋は結構あっても狸がつくということは
ほぼほぼなかったそうで狸を落とした親戚の話が残ってって
狸の場合はいわゆる仏教的な法術なんかがよく効いたそうなのですね
そして狐以上にどえらい凶暴でなおかつどえらい臭いそうです
獣臭がすごいらしくそりゃああんな臭い肉なんて
食べれんだろうな~と言ってたそうです