以前記事で鎌倉に陰陽道や陰陽師を持ってきた、鎌倉の呪術祭祀を
仕切ってたのは大江広元説を書きましたが
ヤフーニュースで大江広元が陰陽師を招聘してたという記事が上がってました
ちなみに歴史人という私もよく読む雑誌の電子版からの記事のようですが
そのお話はまた次回として今回は
鎌倉幕府創世記の最重要人物大江広元と毛利家のお話
おお~、鎌倉殿でも見た目はかなり寄せてますよね~
鎌倉殿では今一つ存在感が薄いですが(私的には幕府の重要事項の決定権はことごとくこの方が関わっている)
大江広元
学術的には鎌倉に下向してきたとても実力のある実務官僚であり
貴族ですが
この方、陰陽師関係以外にももうひとつとても興味深い面があるのです
日本最古の戦術書と言われる闘戦経
これを作ったのが広元の先祖で代々大江家が管理をしていたのです
そして広元が鎌倉に持ち込み、頼朝、頼家、実朝の兵法指南書となり
その後は楠木正成に伝わり、毛利家(毛利家の始祖が広元)に伝わったのです
世間的には内容は武士や戦の心得的なものとされてますが(内容も
それに終始)
私的には、実は表向きはそんな内容ですが
所謂重要なものは口伝になってると思うのです
ちなみに義経も闘戦経をマスターしてたんじゃないかと感じます
日本史的には、楠木正成のゲリラ戦はこの兵法書からと言われてますが
この書の内容でいえばゲリラ戦のようないわゆる奇を狙った戦い方って
描かれてないじゃないですか
多分ですが、いわゆる秘伝的な口伝の部分がそういった従来の武士が
最も嫌う(というか考えたこともない)奇作が伝えられてたと感じます
ちなみに鎌倉時代までの武士の戦い方ってお互い名乗り有って正々堂々とじゃないですか
義経さんの戦い方なんて奇作そのもの
誰も降りられると思えない急坂下ったり、非戦闘員であった舟をこぐ人間から殺したり
武士の風上にも置けない戦い方(その辺りを鎌倉でも屈指の戦術家でもあり、自身もお強かった梶原殿は嫌ったのでしょう)
そして幕末毛利家を救った稀代の戦術家、高杉晋作
この方も闘戦経をマスターしてたんじゃないかと感じるのです
晋作といえば吉田松陰
松下村塾で習った??と思う方もいるでしょうがそれはないでしょう
松陰さんが、毛利家の兵法指南書を手に入れれるということは
ありえないでしょうし
松陰門下たちって奇策を使ってないんですよね
幕末一の軍略家であった久坂さんなんかも奇策ではないですからね
その晋作さん、この方は非武士中心の奇兵隊を作り上げたり
毛利滅亡目前の第二次長州征討での戦い方って、ある意味艦砲射撃と
地上戦を組み合わせた従来の日本にはない奇策ですもんね
高杉家と、新作の立場であれば闘戦経を手に入れてた可能性は十分ある
といいますか絶対読んでたであろう発言が残っているのです
闘戦経の中には実は儒教を高く評価していない記述もあるのですが
高杉晋作の有名ではないですが、とても興味深く、進歩的な思考を表す言葉に儒教で戦が勝てるか!!
そんな言葉が残ってるのです
儒教=経済活動は悪という前近代的な思想の元になっているもので
その経済活動を悪ということを批判してる言葉ととらえられてるものですが(金がなければ戦が勝てん)
当然江戸末期の幕末も儒教、朱子学思想に日本は染まってた
幕府の思想の根本、規範ですから
私の中では、進歩的な晋作は、金がなければ戦が出来ん
儒教原理主義の幕府には負けんという思いと
闘戦経からの言葉
そんな意味だったんじゃないかと感じます
呪術も密教も武術も兵法も、日本のその手のものの最重要場所って
昔から口伝になってますからね
書に残すとどこかでそれを盗まれちゃう(技術の流出)
そういう意味合いも強かったのでしょう
基本日本って、伝承は家伝、もしくは才能ある一人の弟子に的な
一子相伝の世界ですから