河の上流にあればお願いしたら流してくれるかもですが
無ければいくらお願いしても流れてこない~
と何度も書いてますが
そのあたりのお話
わが家の仏様拝んでたら、
祈願ってさ~ということを教えて下さる
(気がする)
結局必要なものって全部与えられてんだよね~
恋愛運~金運~、素敵な彼氏~云々と
神仏に祈願するけど
本当は神様が連れてくるというよりも、必要があれば
本人がもともと持ってる素敵な彼氏という駒の中から
出してくれる
その駒を持ってなかったら出てこないし、
他から持ってくるなんてことはしないんだよね~
それは魔の領域になるんだわ~と
因果の種という表現があるけど、大事なのはたねを
祈願云々で持ってきてもらうではなく
いかによきタイミングで芽を出して育てられるか
そこに尽きる
そんなお話
人間様ができるのは時期を見て育てることなんですね
案外時機と地域を見るということを軽んじるというか、気にすらしない
亜熱帯の種を寒冷地で種まいたって芽は
出ないでしょうし、
冬に育てても無理じゃないっすか~
まずはそこを見極めねば
世の中の大抵のことって場所とタイミングがとても重要
産まれ持ったセンスがあれば、
そこをクリアできちゃうでしょうが
大抵の人ってそんなセンスを持ってない、
それを気にもしない
それは皆さん大好きな学び~と言うやつが大事
スピなんかでいう魂の進化のための学び
(具体的には何をどう学べば??)よりも
場所とタイミングを見極める学びの方が人生の役に立つ
実業家だって成功の重要な要素ってタイミングと
場所だもん
いくらどえらい能力持ってたってがマッチしないと
なかなかうまくはいかない
そしてもひとつ大事なのが芽が出たら大きく育てるという行為
案外そこを忘れてる
皆さん何でもかんでも神頼み~
西に恋愛が上がる神社があると聞けば西に行き、
お財布振れば金運上がると聞いたらお財布振る
ついでに友人の嫁はフラでおしりもフリフリ
(茅ヶ崎在住なので)
そんなことよりも人間様が必要なことは現実に芽を育てるということなんすよね
財布振ってもおしり振ってもお金は入ってこない
(フラの先生やってれば入ってくる)
芽を育てる~というのは結局現実世界で
その目的に対して有効なアプローチをする
ということなんですよね
それが水を与えたりという行為ですから
ま、肥料~と言うものが徳を積んだりという善行と
反省~云々という滅罪なのでしょうが
ちなみに私が思うに、祈願や祈祷って滅罪や供養と
セットだわな~と思うのです
仏教は因果論という世界観の中で展開と書いてますが
因果論ということはよろしくない因果というものは
当然我々の足を引っ張るような展開をするわけじゃないっすか
祈願と同時にそこにもアプローチしないとなかなかね~と思ったりなのです
祈願なんかして良い因果積んでプラス50でも
悪い因果も50くらいあれば
現実という表面化はあんましないかな~
私が陰陽道なんかで思うのが
陰陽道って基本術の世界じゃないですか
世界観として、呪術という術を行うことで展開する
案外人工的な世界
そこには滅罪や供養という方法論がないんですよね~
現実世界によろしくない影響を与えるものを供養して~と言うよりも
術として固めたり追い払ったりという世界観
多分供養より、表面的には早い験なのかもですが
中々根本にはアプローチは出来ない
ま、そのあたりは私は根治ではなくごまかしごまかしのでええんじゃないか~と思ってる人なのですが
ただ世界観としては神道のようにもろもろの
穢れをどこぞの海の中に
持ってってそこで祓い清めて分解~というものではない
遠くの方へ追いやって、はいおしまい、
それらはまた元のとこにやってくるので、
結界張って入ってこないように~
多分元々はそんな世界観だと思うのです
その結界云々のためにまたまた術が進化みたいな
密教や神道の影響~でもしかしたら仏教的供養や
神道的な祓いの要素も入ってきたかもですが
続く