世の中功績の割に人気の無い方いるじゃないですか?
西郷どんのお友達の大久保さんや
狸親父といわれる神君家康(家康公の懐刀の本多正信、正純親子も)
今日はこの方リーディングです
なんとなくバババーンときたので
ちなみに私の持論で視える聞こえるは低い説があるのです
結局それらってそっから推察しないといけないじゃないですか?
判断というか
人間の判断は往々にして間違えるもんDEATH
分かるというのが大事でして、そういうのって一挙に情報がドどど~んと来る感覚なのDEATH
なのでこのリーディング自信あり〼〼。家康の謎やら行動指針が理解できます
さておらが町名古屋には郷土3英傑という言葉がありますが
世間的に最も猜疑心が強いのは 信長とされてますね?
とんでもない家康です
信長公は猜疑心以上に実は隙の多い人物、甘い人物だったりするのです
そうでなければ、無防備に本能寺で宿泊して腹心の光秀に討たれるなんて
へまはしません(嫌われ者の健介風に言えばポカやった~)
家康公を終生貫いてるものは猜疑心
これが全ての政策や行動指針につながります
これでこの方が解けちゃいます!!
自分でビックリ
イヌのような三河武士と言えば昔も今も忠義の鏡と思われてますよね~それは後のイメージ(江戸以降の幕府によって作られたイメージ)
家康さん、幼少の頃から人質で今川、織田間をたらいまわし状態
そこでの記憶の影響も大きいですが
決定的なのが三河一向一揆
家康記的なものでは大きく語られませんが後の政策や行動にメッチャ大きな影響なのです
人間家康の根幹を作った大事件!!
マジでこれ凄いんですよ
神君伊賀越えと並ぶの最大の危機なんです
後の家康の右腕で最も頼った本多正信兄弟がなんと一揆側について家康に弓を引いてるくらいの家臣団真っ二つってほどのというレベル!!
我らが猪木史で言えば、猪木の文字通り右腕だった過激な仕掛人新間さんが、
タイガー佐山や前田、高田(は当時一若手ですが)といった新日本プロレスの心臓部を引き抜いてUWFを作っちゃったくらいの最大のピンチ!!
それくらいの大危機!!
(しかも家康公、一揆勢に敗走してお寺の甕の中に隠れて難を逃れたという史実があるほどの危機一髪)
後の家康公の政策や戦はこれが影響してます!!
言い切りますよ!!
このときの裏切りからの猜疑心が後の江戸幕府のありとあらゆる政策を
作った、それこそ2大将軍に秀忠を選んだのもこの教訓です
家康の最大の功績の一つが宗教政策です
今では想像付きませんが戦国時代最も強かったのは?
一向宗の本願寺といってもよいのです
信長の最大の敵は武田でも上杉でもなく本願寺だったのです
歴史の定説でしょ?(一向宗との戦いで弟を失ってるほど)
実は信長って甘いし優しい男で(そのうち解説最近発見された秀吉の手紙にも自分は信長ほど甘くないぞというものもあるのです)
本願寺が降伏した際、滅ぼさずに石山の地を明け渡したら許したのです
しかも布教もOKという普通では有り得ない条件で
でですね家康は凄いのです
西と東に本願寺分断しちゃったのです
すげえ政策!!
1番効果的に力そげますよね~しかも本山をお互いの眼と鼻の先にして
このすごい発想は信長公にも秀吉公にもなかったのです
私のリーディングでは家康というよりも、自ら一向宗として主君に弓を弾いた本多正信のアイデアと感じます
一向宗の将として家康と戦った経験もあるので一向宗の内部や精神構造がわかっていたのでしょう
さて家康の戦観ですが
誰もが無謀と思った三方が原の出撃や大阪の陣で鎧をつけないとか
若い頃から自分が先陣を切ってたとかの家康が無謀なことをした理由、
せざるをえなかった理由ですが
家康公の中では終生自分が戦陣に立ったり戦う姿勢を見せないと部下がついてこない!!という苦い思いが残っていたと感じるのです
忠義の鏡と言われる三河武士って実は結構若き日の家康を裏切ってるんですね~
ははは そのトラウマでしょ!!
家康公が終生尊敬をしていた我らが鎌倉殿頼朝公を終生貫いた思いも
家康公と同じく人は裏切る
猜疑心が強く弟の義経や範頼以外にも、平家追討に貢献した多くの御家人を
左派の内ゲバの如く粛清しまくりましたが
家康公も同じようにいわゆる外様大名を改易という名の粛清をしまくり
幕府を安泰化してますもんね~
ちなみに家康公の愛読書は鎌倉幕府の歴史書吾妻鏡!!
日本史上最高の危機管理能力と言われるこのお二人の
危機管理の原点は当然のことながら猜疑心なのです