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人生はRPGのようなものでして 運命と置き換えてもですね

さて霊能者やらも参考資料の一つで最後の決断は自分でです
祈願はですね 100パーセント神仏を信用してです

そうじゃないとゆだねれないでしょ?

ゆだれねないとそりゃ動かんよと

かなわないのはかなわない方がいいのか

本心では望んでないのかもしくは神仏が動かないのかで

神に力がないのではないです

 

 

ひたすら凄い勢いで願うのもいいかもですが

力まずに~

の気もします

 

力またないと 拝み倒さないとと思う=前提条件でそこまでしないと動いてくれないで

 

実は神仏信用してないね~てきなね

 

それだとたとえば祈りが届かないのでは?

 

ご本尊に怒鳴るように祈願をするのはねっ~と師僧もようおっしゃってって (そんなにゅあんす)
確かにね それだと届かんよね 結局は動いてくれるかどうかなのです 神仏が

そりゃ信用してない人には動かんよね

 

普通は で宗教は科学ではないとおっしゃってって
信仰なのですって あ、それって強いなあって。

実証、科学云々ではないって凄い言葉

 

重いなあって

 

一つの理想の境地ですよね 信じる信じない云々の境地じゃないもん

ついでに河の向こうのお話ね

上流にないものは祈願で流せるかって質問基本無理です

 

逆にぜったいにあると思えるものは上流にあります

(普通に考えて無理でも)
人生RPG説でして ゴールは無限に見えて実はゴールがたくさん用意されてるだけで
選択によってゴールは変わるというだけで

凄く無理なものでも用意されてるものはあるけどない物はないです

でですね あみだくじ=人生でもいいのですが
祈願というのは
そこに無理やり横線を書き入れるというものです

でとても書くのが困難でも何かと引き換えに
書き込むというのが祈願、願掛けですが あみだのゴールは作れないです はい
ゴールが無限に作れるように見えてるだけですが 横線やらは運 命で変えれますが

 

ゴールは宿命で変えれません 勘違いの霊能者たくさんいますが 関わると悪い方向の
線が引かれたり選択しちゃうようになのです

この世の法則として

ま、そういうものですが それでがっかり

 

希望なくしちゃだめ
RPGのストーリーって(じんせいの)実はビックリするくらい設定されてるから
別に無理やりストーリー作らなくていいと思いますよ

 

ある物で満足すると実は裏技的な
え?ってストーリーが出てくるものです

運勢が強いというのは単にその一つのストーリーへ行く力が強くて

中々他に進む横線やら選択が出てこなかったりまたその道に戻るようになってるってだけ

って考えるとそんな悩まないでもいいでしょ

立派な人は人生は悩んだり苦労したり経験するのが大事といいますが

やっぱそんなの嫌だよね

 

できれば楽しく行きたいですよね

 

たかだか80年なら色んな経験もいいけど
楽しく笑って過ごしたいじゃん

人生修行なら笑って修行したいですな だって皆さん辛い思いで修行してるんでしょ?
だったらその中で楽しく修行してる方が絶対価値はあるでしょ?

人生遊行です 遊びながら修行してあっちいったらあら、立派になったのねのがいいじゃんね

と精神世界の人たちを敵にまわしそうな内容ですが

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