さて甲斐の猛虎武田信玄公の続き
因みに戦のみでいえば 息子さんの勝頼さんのほうが強かったでしょう
が大きな差が
信玄さんって大局を見れた方で 戦術(局地戦)では勝頼さんですが
戦略では信玄さん はい
ついでに言えば信長さんは信玄以上に新しい社会(しかも日本という国の)というものの
プランを明確に持っていた人
当時でいえば誰一人そんなのは持っていなかったのです はい
信玄のお父ちゃんが器量ないって判断して
家督継がせないようにしたじゃん。
結局お父ちゃんが追放されたけど。
其処忘れがちだけど基本の性格そういう人で小心ものね。
逆にだからこそ細心の注意を払える人物に。
って感じだから家臣団は結構身近に感じてますね。
それこそオラが村の大将って感じで。
でそれを息子の勝頼が横目で見ながら
内心軽蔑してたんじゃないかな。
なので勝頼って凄い剛毛(あらやだ びっくり変換)
になったじゃん。
必要以上に。
民にも甘かったと思うんです。
信玄堤つくったとか内政をしっかりやってたから民衆に
愛されてたってなってるがそれ以上に
オラが村の大将的な田舎の代議士さんだったんじゃないかな。
逆に言うとその田舎の代議士さんであるがゆえに
時代の最先端の信長さんの政策に
勝てないわけで。
地元では大人気でも実は今の時代にマッチした政策は打ち出せないので
国政は取れないと。
ま、それだけではなく2面性ある男で凄く腹黒い面もあるけど。
其処は少数の側近しか知らなかったんじゃないかな。
謙信さんなんかもう毘沙門天そのものくらいに
畏怖されてたわけじゃん。
景勝なんかもそれを見ていたから余計に厳しい男になったわけで。
(実の息子じゃないからなおさら)。
そうそう、武田24将とかここって名高い武将が凄くいるじゃん。
でそのなかでも信玄が実は最もかっていた男誰だと思う?
真田昌幸なんだわ。
絶対。
序列では其処まで上じゃないから公には見せれないけど。
内心最もかってるし信頼してます。
信玄さん実は武勇の豪将って本とは其処までかってないです。
調略のできる男が1番よいと思ってますね。
その辺りは毛利元就に通じます。
多分信玄自体が実は武は弱かったと感じます。
だから戦略家となったんだと。
弱いって言うのは武田の兵隊さんが弱いって意味じゃなく
信玄さん自体が刀ふるって戦うと弱いんじゃないかな。
そうそう、この人虚弱体質ですね。
家督を譲ろうと親父がしなかったのも性格と
虚弱児だったからでしょうね。
だから三方が原のあと急死したんだ。
多分突発的じゃなくて普段から弱かったんですね
この人。