越後の龍上杉謙信公は神となって死後も上杉家を守ったというお話
続編です
こちらが前編です
世間的にはライバル武田信玄公の方が呪術にたけていたというイメージですが
私的には武田家は滅亡して上杉家は幕末まで残ったのでやはり謙信公の方が
長けていたと感じます
というより信玄公は呪術、謙信公は信仰の域にまで達していた差なのかも
(というより生前から毘沙門天が付いているというより化身位に思ってた感がある)
戦国の合戦で一番大事なことは大将が討ち取られないことなのです
桶狭間なんかを見てても分るようにどれだけ大軍率いてたり、領地持っていても大将が討ち取られたら終わりなのです
戦はその時点で敗北ですし、領国なんかも配下についてた国人や武将たちが
他国についたり寝返ったりで滅亡~となっていくのです
世の中には戦術と戦略というものがあり
野球で言えば戦術というのはこの試合に勝つという能力
戦略というのはペナントレースを乗り切って優勝するにはどんな補強をして
どんなローテーションや打順を組むかという長期的かつ大きな展望
ちなみに戦略をもっとも持っていたのが信長公で、負け戦でも
豊臣兄弟をはじめとする部下たちを置いてさっさと一人で逃げていったりも
してるのです(大将が討ち取られた時点で織田家は終わるが信長公が生きていればいくらでも挽回ができる)
ちなみに戦国最強と呼ばれる信玄公や謙信公は戦術家ではあっても戦略家ではないのです(特に謙信公なんかは)
さて戦国時代、大将が先頭に立って相手の首なんかを取ると
なんて勇猛な大将だ~と言われそうですが実は真逆で、そんなのは大将の器ではないとおもり役に怒られるのです
(大将が死んだらおしまい)
そんな戦国の気風があるのに謙信公はかなり無茶をしている
3万5千人の北条軍に包囲された唐沢山城を数十人の警護のものだけ連れて
甲冑もつけずに悠々と救援に駆け付けたり(あまりのことに北条軍はビビってモーゼのように道を開けたといわれている)
信玄との戦いで有名な川中島の戦いで最も激しい戦いとなった
第四次川中島の戦い
一人馬に乗った謙信公が床几に座った謙信玄公の本陣を襲撃し
信玄公に人たち浴びせるも信玄公は軍配で刀を受け止めたという伝説がありますが
一般的には謙信公の影武者説や別人説が色濃いですが
私的には案外謙信公が一騎で本陣に突っ込んで一太刀浴びせたってありえると思ってるのです
何故って簡単 自分は毘沙門天の化身だから死なないと思いこんでいるから
ちなみにこれほどの名将が後継者を決めずにお亡くなりになったので
死後上杉家は家中を二分して激しい後継者争いで戦が起きるのです
後継者を決めないというあたり名称にあらずというかんもありますが
そのあたりも自分は死ぬはずがないとガチで思っていたのでしょう~
だって化身なんだもん
とはいえ死後はこうしろという指示を与えていたのでもしかして死ぬこともあるかもな~くらいは思っていた節もなくはない
(ただまだまだ先の話で現実味は無いと思ってた)
謙信公の死後は家火葬もせずに甲冑をつけて甕に入れ居城である春日山城の鬼門に遺骸を埋めさせてるのです(鬼門は毘沙門様の方位なのです)
どうやら尊敬する弘法大師が生きたまま入定し、死後も高野山を守っているということに感銘を受け
自分は死後になっちゃうけど死後も神となって上杉家を守ると決めていたらしいんですね~
ちなみにこちらは謙信公死後に高野山のお寺に上杉家から送られた謙信公の
肖像画
今最も勢いのある歴史学者の磯田説では上杉家からのオフィシャルの肖像画で死後に送られたということで
実は死後甲冑を着せて甕に入れるときのお姿に違いないと言っております
私もそんな気がとってもする!!
ちなみに謙信公、生涯結婚どころか一度も女性と関係を持たなかったと言われておりますが(なので謙信女性説すらある)
最近の研究では30前にちゃっかり結婚していたそうです
と長くなったのでパート3に続く
(本能寺黒幕は神となった謙信説 BYジミヘン説)