うわ~ん またまた金魚が死んだ~
一番かわいがっていたでっかいオランダ(元宝)が突然死んだ
というよりどう見ても不審死 頭が爆発してしんだ
画像はぐろいので要注意(と思ったけどあまりにぐろいのでアップは中止)
頭が破裂しとるのよ
昨日は何人か難しい祈祷が入っていたので多分その影響かも
祈祷始める数時間前までは普通に元気だったのに~
祈祷前に供物お供えしたりお香盛ったりしたのちしばらく休憩~
祈祷前に金魚みたら頭の肉腫が千切れて取れとる そして取れた傷口が爆発しとる
マジか!!!
急いで塩浴&薬浴をする
祈祷も金魚の闘病平癒を願意に加えるも翌朝死んでた
マジでショック~
全て仏様にお任せの祈祷ではあってもやはり病気なおしやら何やらって
現実を変えちゃうわけなのでどこかにゆがみが生じる
それが一番弱くて一番かわいがってる(意識が乗ってる)とこに行くのでしょう
師僧なんかも祈祷するとお魚が良くなくなりますから
これは良い悪いという二元論ではなく
もう仕方がないというものなのでしょう ある意味行者さんの業になると言いますか
ま、仕方ない
祈祷なんかも始める前から霊的な世界や存在は先に動いとると言いますが
多分そうなのでしょう
拝むか~と思う時点で動いてるのでしょう
さて今回拝んでて感じたのが、なんだか霊的なものがお経を聞いて
心持を変えとる感覚あるな~ということ
いつものように理趣分中心に拝んでますが理趣分聞いてなんだか変わってる
そんな感覚
私も聞いてる霊的な存在も当然お経の意味なんかさっぱり分からんのですが
意味なんか分からなくても効果はある、何かを感じるものでしょ
さて話は変わりますが仏教には教学というものがある 仏教哲学であったり
理論であったり学問的なもの
現時点の私の境涯で感じることを
教学的なものを深めれば深めるほど実は祈祷の効きって効かなくなる気がするんですよね~
教学ってとっても大事で素晴らしいものなのですが
お釈迦様の教えを後の方々が寅さんのヒロシが
多分兄さんはこういうことを言いたかったんじゃないかな~と寅さんが適当に行ったことを真面目に分析するという感じで
後のとっても優秀な方々がああでもないこうでもないと作り上げた理論体系
多分理論としてとても優れてるのでしょう
ただそれを頭の中にた~くさん叩き込んで祈祷を行う際もその理屈を考えながら行うとあんま効かない気がするのです
どっちかというと子供のようにただただ仏様お願いします~とお任せした方が効く感覚がある
本来は落合さんやイチローさんのように理論を実践に落とし込めればいいのでしょうが中々そこまで人間両方を高められない
そんな感覚がとってもある
理論を突き詰める方はそれがやるべきことで実践を突き詰める方は
それが役割というだけで役割が違うという言い方が正しいかも
中には弘法大師のように両方の天才もいるのでしょうが
何十年、もしかしたら何百年に一人のレベルなのかも
人間の一生でいろんなことを突き詰めていくにはやはり時間が短すぎるのかもですな~
それにしてもショック!!
ちなみにこちらは前回の金魚死亡祈祷のお話になります