昨日は大変お世話になった会長のお話を書きましたが
本日はその息子の社長のお話
私がカバン持ちをしていた直接の経営の師匠
この方どんな人物かと言いますと
とっても優しく人が良く親切で非情非情な決断ができない人に甘い人
ま、本来であれば経営者としては致命的に甘い人なのです
その辺りは本人も十分自覚しておりました
従業員の中には、陰で表でそういう社長を非難する声もやっぱりありましたが
私がこの方にお仕えしたのは結局そういうとこが好きだったからなのです
私の性格だと、勝ち馬にのるとか優れた人だからついていくという発想は全くなくて
結局その人のことが好きかどうかが一番重要なのです
一番象徴的な事件としては
大学時代からのバイト~社員に上がって10年以上働いてたとっても信用していた社員が
結構な額を横領していた(ちなみに私はとっても仲が良かった)
聞けばバカラにはまって追い詰められてたらしい
普通であれば速攻解雇、刑事告訴や訴訟だってされちゃう案件
だったのですが
社長は、○○は大学時代からうちでよく働いてくれたし
今職を失ったら返済なんて出来っこないし追い込みだってかけられちゃう
俺はあいつを助けてやりたいんだよな~と相談をしてくる
当然私も友人ということもあったし、解雇されたら職も住むとこも失って
追い込みかけられるかもっと悪事を働くので社長に大賛成
ということで横領したお金の返済も無しにして雇用し続けたのです
当然社員たちは大ブーイング
結局本人がいずらくなって3か月ほどで離職しましたが
離職後は実家からも絶縁されて住むとこもお金も無くなりどうにも困り果てて社長に
相談に来たら、泥棒に追い銭ではないですが
借金の肩代わりをして、当面の生活費を渡して、住居も借りてあげたんですよね~
流石に社員たちには内緒ですが
ま、普通に考えたらあかんことしてますが、私なんかはとってもそういう
社長が好きなのです
万事がそんな感じでとっても甘い方なので経営者としては大失格!!
ですが業績は伸びていた
ははは
お子さんがダウン症ということも関係してか、もともとの性分なのか
人にとっても優しく面倒見の良い方でしたね~
ちなみに仕事にたいしてはお父さん譲りでとっても熱心
正直寝てる時間なんかないんじゃないか?というレベルで朝から夜中まで働きっぱなしで
中小の社長なんかやるもんじゃないよな~
命かけてるしと傍から思ったほどでした
(たま~のお休みは息子が通ってた学童のお手伝いで多分それが一番楽しかったと思う)
加賀百万石の二代藩主が徳川家に睨まれないように鼻毛を伸ばし続けて
あいつは馬鹿殿と言われてたように
社長も相当馬鹿を演じていました
とある大型ショッピングモールに出店していた頃の話
大抵出店3年目くらいでモール側は店舗の大規模改装を迫ってくるのですが
モール自体の集客も落ちてるので改装したって効果は正直ない
毎回毎回モール側は改装するのか退店するのかと烈火のごとく迫るたびに
いや~私共はあまり頭が良くないのでおっしゃる意味がいまいちわからないので~
改装する資金もないので逆に家賃を下げていただけないでしょうかね~と
かなり空気の読めない交渉をするので
マネージャーが、お前のとこの社長は馬鹿かと暴言を吐いたほど!!
ちなみに人生で二度だけ私が怒った(振りをした)のはこの時だったのです
やっぱ好きな師匠を馬鹿にされるのってうやじゃん!!
ちなみに切れると言っても温厚なジミヘンさんは椅子を蹴ったり声を荒げたりという切れ方は一切せずに
もっとドエライ懐刀を抜いたのです
(じつは毎回マネージャーの態度があまりにもひどいので
いつかは懲らしめねばといつかのタイミングを探していたのです)
ちなみに師匠が毎回毎回のらりくらりと
鼻毛で加賀百万石を支えたと言われる前田利常公ばりの大馬鹿を演じていたかというと
とっても簡単な話で
大量の在庫を置ける家賃が安く集客も見込める大型店舗を見つけるまでは
今のとこで改装費等余計な経費をかけずにしばらく粘るため!!
その辺りのタヌキ具合はやはりモールのマネージャーよりも師匠の方が
一枚も二枚も上なのです
(マネージャーは何とかしろと上からドエライ追い込まれてたと思う)
師匠という方も怒鳴ったりすることは一度もない温厚な男なので
バブル崩壊以降の銀行の融資が厳しくなったころの融資のお願いなんかに
ご一緒すると
相手が根負けするほどに非常に粘り強くもみ手もみ手の交渉の果てに
結局根負け&融資がOK
という場面を何度も見てるので、融資の交渉って数字以外にもこういうことってとっても大事なのね~と勉強になったもんです
(ま、メインバンクさんとは先代の時代からの長いお付き合いで
不義理は一切していなかったからというのも大きな理由だと思いますが)
ちなみに会長、社長のモットーには
うちのような中小なんて大企業のような好条件で雇用は出来ないから
結局家族同様に従業員と接することしか雇用は安定できんのだな~でした
ま、それが俺も親父も器の限界だで会社の規模はここまでが限界というのを
しっかりと見極めた経営でした
カバン持ちだったので昼食、夕食は基本社長と一緒でしたが
贅沢を一切しない人でしたので基本は長命うどん
(普通にやっすいその辺のうどん屋と思ってたら結構店舗増えててびっくり)ORラーメン
夜はカレーか王将という長距離トラックの運ちゃんの如くの
食生活でした
とっても庶民的!!
ちなまに今でも名古屋に帰省してお会いすると
おお~ジミヘン、来たか~と当時と変わらん笑顔で迎えてくれるのは
とっても嬉しいことであります