ジミヘンさんという方はあんま執着というものがない
お連れさんにも、あんた執着ないよね~とよく言われる
お金にも物にもあんまない
なので人生に後悔というものもほとんどない
人生やり直したってどうせおんなじ選択して同じようにしょぼい人生繰り返すと思ってるのです
ただそんな私でも唯一後悔があるとすれば、大事なこと伝えそびれちゃったよな~と言うこと
カバン持ちしてた経営の師匠のお父さん、会長に感謝を伝えれなかったんですよね~
伝える前に死んじゃって
これは今でも私のほろ苦くて心の弱い部分をギュギュっと刺激する
カバン持ちで拾われた頃の私は自分でいうのもあれですが相当ダメ人間
働く意思はナッシングの社会人失格人だったのです
(大学の頃ドレッドにしてたこともある位なのでま、あかんわな)
カバン持ちだって最初の頃は、行きたくね~な~ だるいよな~と言うことでしょっちゅうさぼってましたが
その都度当時専務であった師匠が、お~いジミヘン、仕事行くぞ~と
車で自宅まで迎えに来るレベルでしたから
金曜の仕事が終わるころには遊びに行くために、会社の前に友人がお迎えに来てたりするので
当時社長だった会長なんかは、お~い、専務、あいつはあかんぞといつも
漏らしていた ま、そりゃそうだ(なので残業なんて当然拒否)
会長というのは昭和の一桁生まれのいわゆる昭和の猛烈社員
働くことが美徳、公のために働かんといかん!!
というタイプの方なので
正直遊ぶことが人生の優先順位の最上位だった私の価値観とは全く合わなかったのです
向こう三軒両隣り、トイレ掃除は上のものが率先して行う(会長は素手で)
お札は必ず綺麗に伸ばしてお札の顔の向きは揃えろ
汚いお札は釣銭出だすな
ガラスはピカピカになるまで磨かないかん
お客様の来ないときはひたすら掃除しろ
玄関は必ず水拭き
従業員は朝から晩まで店にいなきゃあかん
ま、そんな感じの古いタイプの経営者で当時は非科学的で意味がさっぱり分からなかったのです
当然私が馬鹿だったので
私の中では会長とは合わんよな~と言う思いがあったのでちょっと距離は置いていたのですが
会長の奥さん(おばあちゃんと呼んでいた)と社長(息子で私の師匠)
にはなぜだか可愛がられていたのでなんとかカバン持ちを続けられていました
カバン持ちを無事卒業し、その後自分でお仕事を始めるようになって
会長が言ってたことがすごく分かるのです
というか結局当時言われたことを今でも実行してたりするんですよね
私のモットーである分相応、小さく始めて大きく広げる
(私は広げないけど)というのもまるっきり会長の口癖なのです
残念ながら会長さんは感謝の言葉を伝えるより先
と~っくの昔にお亡くなりになってしまいとっても後悔をしておりますので
名古屋に戻る時はちょくちょく社長にお会いしているので
会長の仏前に手を合わさせていただいてますが
やはり死んでからではなく大事なことは生きてる間に伝えておかんとな~と
とっても思う
ちなみに社長さんにお会いするときは毎回のように
当時は社長の経営方針とかさっぱり共感できなかったけど
今思うとあれしかないですよね~ ベストですよね
めっちゃ勉強してたんですね~と話をすると
いつも笑顔で だろ~、当時はお前らそれが全く理解できなかったんだぞ
お前らが言うこと聞かなくて俺も苦労したんだぞ~と言っております
ははは
スイマセンです
ちなみに当時会長の車の中で毎回聞かされてた話は
バブルの頃に本業以外に手を拡げたり、クルーザーなんか購入したところは
ことごとく潰れた
会社は地道にやらんといかん!!ということでした
バブルの頃、かなり儲かってたと思うのですが、会長の唯一の贅沢は
小さな釣り用のボートを購入したことくらいだったそうです
車なんかも会長、社長共に会社の荷物を運べるということで
ハイエースでした
カバン持ちのお仕事はハイエースに積んだ荷物を降ろして運ぶことも
重要な任務でしたが、結局私は腰が悪いので
会長や社長が運んでおりました
今更ですが会長、たいへんお世話になりました ありがとうございます
夏の終わりに会長を思い出してちょっとしんみりしちゃいました
皆さんも相手が生きてる間に感謝を伝えとかんと
馬鹿な私のように一生後悔することになるよ~
そういえば忘れてましたがも一人感謝を伝えれていなくてたま~に猛烈に後悔する方がいました
高校の恩師ですが、この方がいなかったらさっさと高校辞めてたよな~
と言うくらいにとってもお世話に、なおかつ親身になっていただいてた担任の先生
卒業後年賀状くらい出しときゃよかったよな~
すんごい後悔しております