鎌倉は怖い、怖いとよく聞きますよね??
今でも家建てようとすると人の骨が出てくるんですよ~云々聞くじゃないですか
ま、あんな狭い街で御家人同士の内ゲバのような殺し合いがたくさんあった街だから、そりゃ怖いわな~という感覚でしたが
先日、自転車乗って藤沢市の山側の、大庭までサイクリングしてきましたが
な~るへそ、そういう怖さもすごくあるわなと感じたことを
大庭というのは鎌倉の有力御家人の一つ、大庭氏が治めてたところで
大庭城というお城もあって(今はお城跡の公園)大庭氏のお城でしたがその後は太田道灌が改築し、最終的には小田原城の北条様のものになったお城
普通でいえば北条家という感覚ですが未だこのお城の意識の中では大庭氏が城主なんですね
大庭という場所だって単なる田舎の田んぼで、何とか町1丁目程度の大きさの支配地
江戸時代あたりの領地と比べたら鎌倉の御家人たちの領地なんて猫の額以下
そこを治めてたと言っても日出町3丁目を治めてて、実質部下なんかも多くて何十人単位(100人に近い何十人ではないでしょう、10人とか)
すごく規模の小さい領地なんです
ふときづいたのが、これだけ規模の小さい領地であればそこに住む支配下の人間たちの顔なんかみんな知ってるし、昔のお殿様と民の関係ではなく、小さな町工場の社長と従業員、従業員の家族も社長の家に呼ばれてご飯なんか食べてる
そんな感覚なんだろうな~
土地というものの最も濃い記憶というのも、のちの世に下った記憶よりも当時の小さなコミューンでの幸せな時代が最も色濃く残ってる
そんな気がします
後の世になって、領主が北条氏なんかになると結局は関八州の中のごくごく一部の領地にすぎませんが
大庭氏あたりの鎌倉時代であれば、大庭という小さな場所が本拠地でなおかつそこしか支配してないから大事にしますよね
その場所に強い執着持ちます
圧倒的な平氏を何故、犯罪者の子供として島流しにあった頼朝が破ったか 義経という軍事の天才が現れた云々はありますが
根本はそれだけ土地に執着していた当時の関東の武士たち、実はその土地の所有権はみとめられてなかったのです
どれだけ頑張って開墾しても
いつ所有権といり上げられちゃうかという不安がいつもあった
頼朝が掲げた一番の大義名分って、安倍政権たたきではないが、こんな世の中が悪いのは平氏政権のせいだ!!
ではなく、皆様が熱望している土地の所有権、私が政権を取った暁にはすべてすべて認めさせてすべていただきますなんです
これに鎌倉の武士団たちが賛同したという大きな流れがあるのです
そうかんがえたら、鎌倉一体という鎌倉御家人たちが治めていたこの辺りって、平安末期~鎌倉時代の領主たちの土地への執着心めっちゃ強いのです
滅ぼされた後でも、この土地はわしら一族のものだ!!って
そんなとこに家でも建てたら、そりゃあおっかないですよね
誰に土地に断りもなく家建ててるんだ!!
執着の本当に強いとこであればすいませんがおうち建てさせてもらいますといくら断っても当然NGなのでしょう
江戸時代であれば、幕府の一言で秋田から四国に転封というのが普通にあるのでそこまでに執着は持ちにくいですが
鎌倉のような土地の場合はような、建てさせていただきますという感じで所有権はもう私ですではなく、大事な土地を貸していただきます
貸していただいてるので、大事に土地を使わせていただきます
そっちの方がよいのかもですな
それプラス当時の領主だった方のとこのお墓に報告と
ちなみに私はここ買うときに当然当時の領主のお墓にご報告とお参り行ってます