さて本日からしばらくは実家暮らしのニートでチートな生活
DEATH!!
ここ半年くらいはなんだか毎月(てか多いと月二回)
実家に帰っている
貧乏なので実家で飯を食わないと生活できない~ ははは
今回は帰りに奥飛騨の温泉に行ってきます~
子供の頃には全く興味のなかった明治村(遠足で雨降ると
行く場所でちびっ子どもはガックリ)にも久々に行こうかな~
そんな思惑もあり〼
さてどうするな家康さんの続編
松潤な家康さん、後の天下人になる割には結構な危機に直面している
三河の一向一揆に、三方ヶ原、伊賀越え、夏の陣の
幸村さんの突撃等 ついでに長男信康への信長の疑惑なんかは
生涯で最もつらかったかも
鎌倉殿の頼朝と並ぶ日本史上ナンバーワンの危機管理の名人なのに人生危機だらけ ははは
ま、危機やピンチが家康を大きくしたとも言えますが
さてそんな危機だらけ
家康の中でも実はとっても
重要な
なおかつ冷や汗出まくった危機
が、重臣石川数正出奔!!
ちなみにこの方、名城松本城を作った方でもあり〼
石川数正と言えば、初期~天下人になる前までの家康にとっての
右腕ともいえる実質家康のナンバーワンの重臣
新日本プロレスでいえば、過激な仕掛け人、新間寿
それくらいの人物
官房長官兼幕僚長長官、それくらい最重要な漢が
まさかライバル秀吉の元に寝返ったのです!!
正直首元に冷たい汗かいたどころじゃなかったと思います
教科書的なものには数正出奔と一言で終わりますが
実際は徳川軍の軍事秘密や支配体制、今後の軍事作戦がすべて
ライバル秀吉にばれたのですから
最近志位さんや、沖縄のデニーさんが、
オスプレイの情報を開示しろと
馬鹿なこと言ってますが現代だって
軍事機密なんて
お国の最高の機密情報で
他国に絶対知られてはいけないものですもん
お前らスパイだろ!!
とそこは置いといて、戦国と言う軍事国家(てか常臨戦態勢)の
状況で、軍事機密がすべてすっぱ抜かれる恐怖はない!!
のですが
最近家康さんをリーディングしていたらあることを感じた
実は秀吉が寝返らせたのではなく、家康が寝返らせるように仕向けたんじゃないか??
実はこの辺り、私の中では二つの仮説があってどちらもあり得るな~という感じなのです
(家康さんってやはり腹の内を見せないので読み切れない
リーディング出来ないくらいの大物)
まず最初のジミヘン説は、家康自身が徳川軍の再編成を行いたかった説なのです
強敵信玄と戦ったり、天才信長をまじかで見続けてたり
はたまた小牧長久手の戦いで秀吉と戦って、家康自身が
現状の徳川軍の編成というものに限界を感じていたという説なのです
新たな軍事編成の中心は、井伊直政で行きたい
それを実現するために、数正を都合よく追い払ったのではないか? この説は私が昔から提唱してる説DEATH
数正出奔後の徳川軍は、井伊を赤備えにして、天下分け目の関ヶ原の先鋒も井伊にしてますから
戦国最強の漢、本田忠勝ではなく軍事司令の中心は井伊なのです
ついでに、家康が尊敬していた滅亡した武田家の家臣団や軍法も
取り込みたかったのでしょう 端っから