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高杉晋作と太平洋戦争の関係

皆様お吉情報ありがとうございます

ジミヘンブログ、ある意味全盛期の野球部の如く

全国に情報網持ってるようなもんですからね~

あちらは全国に教会があるから、有望な中学生情報がバンバン

入ってきたらしいですし

 

ま、ガーシーさんのようにウォンテッドかけられたようなもんすよ

大ごとになる前にごめんなさいしとけYO!!

 

さて最近はまってることに幕末というものがあり、幕末ブーム

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!なのです

 

ははは

その中でとても興味ある人物がいまして、勝海舟と高杉晋作

なのです

 

その高杉さん、実は世間が思ってるような猪突猛進な人物とは程遠く

冷静に猪突猛進を演じるクレバーな漢だよな~と感じるのです

 

初代総理大臣であった伊藤博文さんなんかはこの方の一の子分と言ってもよい関係でして

それほどのカリスマ性も持っていた漢

 

この方の強烈な輝きが、のちの太平洋戦争まで大きく影響を与えてるよな~、そんな側面もある気がしてならない

 

人間って強烈な光や鮮烈な体験を目のあたりにすると、その後の人生観まで変わってします

信長公なんか完全にそんな存在

 

古来からの合戦の先方に中入りというものがある

いわゆる中央突破 信長公でいえば桶狭間の戦い

 

とても鮮やかで奇跡的な勝利、部下たちには鮮烈すぎる記憶に残る

関ヶ原での島津の中央突破しかり

 

こちらはあまりにも苛烈な敗走なので負の記憶として幕末まで薩摩の記憶に残った

やはり関ヶ原は鹿児島というへき地では圧倒的に情報が手に入れられなかったという負の記憶

それが幕末に薩摩の圧倒的な情報力をはぐくむことになっている

 

ちなみに中央突破は、その後様々な武将が試すもことごとく失敗

そりゃあ鮮烈な記憶に残るというのは、奇跡的な勝利なわけなので

奇跡って普通起きないもん

 

高杉さんの場合、第二次長州征討という戦いがそれにあたるのです

悪府連合軍が圧倒的な兵力と装備の力で長州を滅ぼしに来た

そんな長州の運命の一線

 

兵力が15万VS3500という圧倒的な兵力差に加え軍艦の数等も

圧倒的に劣る長州軍は普通で考えれば速攻負けて長州おとりつぶしは

目前

 

そんな戦いで軍事の天才高杉晋作率いる長州軍は勝っちゃうんですよね

ちなみに長州軍は伊藤さんをはじめ、井上さんや明治~大正期の軍部を仕切ることになる山縣さんなんかも参加しています

 

山縣さんなんかは日清日露~第一次世界大戦まで圧倒的な影響力を誇った男ですから、その流れが第二次世界大戦まで続くのです

 

さてそんな近代日本の礎になった男たちに影響を与えまくった高杉さんの戦法が、本土決戦だったんです

幕府軍を地元長州で迎え撃つ 本土決戦であれば、圧倒的な兵力差も

跳ね返せる!!そんな第二次世界大戦そのものの戦略だったんです

 

ただ第二次世界大戦時の軍部と高杉さんの圧倒的な違いは

高杉晋作は猪突猛進を演じているだけで実はとても現実主義者で

クレバーということ

 

高杉に影響を受けてきた周りのものたちは高杉=猪突猛進で

激しい男という認識だったのです 気合で勝てる!!

 

そんなとらえ方

高杉さんの戦略って本土決戦で幕府軍を壊滅させるではなく

圧倒的な軍事力の差なので、せん滅なんかは出来っこない

 

とりあえず初戦を勝利して、その後は良い条件で和睦

もしくは源平の戦いのように、幕府の敗北を見た諸藩が倒幕に動くのを待つ

そんな感じのある意味、第二次世界大戦の山本五十六と同じ感覚だったのです

 

長州のこの辺りの猪突猛進さは、ある意味吉田松陰先生の負の遺産かな~と感じます

 

ちなみに高杉の本質を皆さん見抜けないのもある意味仕方ないんですね

高杉の本音は早い時期から開国だったのですが

 

その姿勢を見せれば当然身内の長州人から暗殺されてしまうので

激しく攘夷を唱えるか、もしくは大石内蔵助のような昼行燈を演じる

しかなかったですから

 

世間の高杉を演じることで生き残る、そんな本質までは誰も見抜けなかったのでしょう(多分桂さんあたりには本絵は語っていたと思います)

 

ちなみに当時の長州藩の藩主の毛利さん

そうせい候と呼ばれていました

自分の意見を言わずに部下の意見を風見鶏の如くにええよ、ええよ~

(そうせいそうせい)と言ってた人物ですが

 

これも本音は開国ですが、それを言えば藩主であっても部下たちに

暗殺される危険があったから本音を隠していたという説がありますからね~

 

幕末長州はそれほどの狂気のお国だったのです

ちなみに関ヶ原で薩摩は情報戦の遅れを痛感し

 

長州は結局優柔不断な態度で120万石を30万石に減らされてますから

その優柔不断さを250年かけて克服したとも言えますね~

 

吉田松陰先生の口癖で、時計の針を250年もどして関ヶ原に戻ってみよう

君ならどうする?

 

その答えが秀頼公を擁した難攻不落の大阪城で徳川と一戦交える

だったのかもですね(優柔不断はあかんよ)

その割には広島からの岸田さんの優柔不断は何だかな~と思いますが

 

広島は芸州で浅野家だからしゃーないか ははは

 

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