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藤堂高虎や加藤清正に学ぶ結界

結界と言うものでふと思ったことがありまして 結界と言うと普通は四隅にじゃないですか

家の結界から都市の結界から もしくは五芒星使ったり図形的な感じで

 

実は図形的な結界って完璧じゃないんだろうな~と思うのです

厳密に考えると

幕末の西洋式で建てられた五稜郭と言う北海道のお城

ここも実際には死角が結構あって新政府軍によって陥落しました

 

京都なんかもなんだかんだでいろんな戦乱に巻き込まれたり平安時代なんかは百鬼夜行に悩まされたりもしくは映画羅城門のように荒廃

 

そんなこと考えてた時にある人物二人が浮かんだのです

藤堂高虎と加藤清正と言う日本を代表する城作りの名人お二人

 

実はこの方たちって結界なんか張るのも名人だったんだろうな~

そんな気がするのです

戦国と言えば戦場なんかでも呪術を使うような時代じゃないですか

 

お城なんかでも人柱を当然のように使うので、結界を張らないわけがない

 

城作りの名人というと清正の代名詞のすんごい石垣であったり美しい天守と言うイメージですが最も大事なのって縄張りなんです

 

どんなふうにお濠を作って死角を作らないように櫓や塀を配置して

天守閣へのルートなんかも迷路のようにして~云々と言うま、配置図ですわな

 

これがとても上手なのです それこそお城をどこに作るか、山や河と言った天然の要害をどう使うかと言う

防御と言うのも2Dのような平面的ではなく3Dのように立体的

櫓の上からとうせんぼになった敵を立体的に鉄砲でやっつけちゃうとかじゃないですか

実はこの人たちの築いたお城の結界ってそんな感じに城の縄張りに沿って張ってないか??

実際の敵からの死角を無くすかのように霊的なものも死角がないように張ってんじゃないか?

そんな気がするのです

 

実際この二人が深くかかわった城って落城してないんですよね

時代が関ヶ原以降で政権が安定してからの城が多いということもあるのですが

ただ清正の代名詞、熊本城って明治新政府になってから当時最強であった西郷さん率いる薩摩軍相手に籠城しても陥落しなかったじゃないですか

というよりも撃退 築城時は270年後に西洋式の軍装の相手に戦うなんて想像すらしてなかったお城がってすごくないですか??

 

天下の名城大阪城でさえ築上後30年くらいで西洋からやってきた大砲の攻撃で天守閣が破壊なんてことまでは想定されてない時代に

 

籠城戦も後の英雄乃木さんや明治を代表する優秀な司令官となった児玉源太郎と言う優秀な軍人たちがたてこもったというのもかなり興味深い

優秀な司令官たちじゃなかったら落城してたかもですし(メインは谷さんと言う優秀な軍人さん)

 

他にも後の明治の大物軍人や政治家となる優秀な軍人たちがたてこもっていたという人材の宝庫状態の籠城軍

これはある意味清正公の結界の結果か??とか思っちゃったりもするんですよね~

 

いわゆる天下の名城、難攻不落と呼ばれるお城って戦争になると大抵落城してるんです

北条の小田原城、天下の名城大阪城や難攻不落の岐阜城なんかは都合3度も

安土城もですし

そう考えると熊本城ってすごいっすよね~と思うのです

 

もしかしたら朝鮮出兵で中国の築城技術と同時に、結界をはじめとする大陸の進んだ呪術も持ち帰ったんじゃないか

 

あっちの呪術にたけた人たちなんかを日本に連れてきてその後、城作りや治水工事なんかに参加させてるんじゃないかと睨んでます

熊本なんかに、朝鮮征討後大陸から連れてこられた方々が移り住んだ地域とかないっすかね??

多分あると思うのですが

ちなみに高知の長曾我部さんなんかは朝鮮の陶工たちを連れて帰って

城下で朝鮮の技術の陶芸をで作らせたと言いますもんね

 

当時の感覚でいえば、大陸なんかは日本よりも進んだ文化や技術と言う感じでしょうから普通は人材ごと持ち帰りますよね

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