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家康は確実に秀頼を殺すつもりでした 断言

さて家康は秀頼を殺したくなかったか?殺す気はなかったと言われてますよね
そんなはずないじゃん 絶対に

この方日本史上屈指の危機管理能力の高い方ですよ!!
しかも源頼朝を崇拝してて 吾妻鏡を愛読してた方

なぜに平家が滅んだか どう時代の誰よりも知ってたのですから
将来に禍根を残す可能性 残すわけないでしょ?

当時の最大の危機って 結局自分の仕事秀頼が な訳じゃん
殺す気はなかったではなく

正確には主殺しの汚名を着るようには殺す気は無いでしょ ははは
どうやれば  後世に悪名を残さずに滅ぼせるか?

そのための国替え命令だったかと

結局家康は秀吉が織田家の天下の乗っ取りを目の当たりにしてるじゃないっすか

思ったのは、大義のない主家乗っ取りは絶対に長続きしない!!だったと感じます

なので大儀として国替えすれば命も豊臣家も残しますというのを

見せながら、内心は絶対に大阪を動くわけがない(大阪という世入り大阪城を)

秀頼だけは必ず自分の生きてるうちに殺しておかねばなのです

もっと深い見方をすると、この方が最も尊敬してたのは信玄でなく頼朝なのです

愛読書は吾妻鏡という鎌倉幕府の歴史書ですから

 

平家が滅亡したのは清盛がお父ちゃんの未亡人が、頼朝は自分の亡くなった子供に似てるからつけてやってよ~という懇願に負けて

本来は殺すべきところを命を助けちゃったからじゃないっすか

 

家康はそれを知ってるので生かしておくはずはないですよ

さて脱線ですが この方6男に松平忠耀という方がいて
伊達政宗の娘婿となり 大久保長安という 幕府の錬金術師が忠耀にのつけかろうとしてなのです

で大久保長安事件で一族郎党えらい目に合わされ 冤罪ね ただてるさんは 家康死後 秀忠に
改易配流され 死ぬまで70年も許されなかったのです ちなみに許されたのは300年後

これね 秀忠でなく 家康の存命時の命令でしょ 何故って危機管理
大久保事件も忠耀改易も 完全に政宗に対する見せしめ 脅しだったと思うのです

仮想敵としては薩摩 長州であり 油断ならないのは政宗 ということで
そんな家康が 最も危険分子の秀頼を生かしておくはずはないです

と思ってたりなので 続く とね

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