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奈良町と陰陽師

昨日の暴風雨から一転、今日は穏やかに晴れてます

最近はブログも今日の天気のように穏やかだな~と思ったら

 

お吉が全く現れないのね!!元気か~お吉

警察の捜査~となったとたんに超弱気でしまいには顔出さない、

メールしても音信不通って調子よすぎないか??

 

さて奈良の旅最後は奈良町

ある意味一番楽しみにしてた場所

 

私的には京都の寺町通のように古い街並みに古民家カフェや

雑貨屋さんなんかもたくさん~と思ってたら

 

そこは奈良

地味でした ははは

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奈良町らしい町並み ちょうど夕暮れ時なので路地の趣が良いです

奈良町、とても陰陽師を感じる町なのです

陰陽道ではなくあえて陰陽師と書いたのは、京や鎌倉のように

陰陽師が町の設計に携わって町の作りに陰陽道の影響~というよりも

 

陰陽師が集団ですんでた町、そんな場所なのです

実際奈良暦という暦も作ってたらしいですし

 

さて一応実家が陰陽道らしきものをやってたジミヘンさんとしては、

それ以外に思い切り陰陽道を感じる場所を見つけてるのです

 

まずはこちらの庚申堂

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ま、普通に庚申講がお盛んな地域だったのね~ですが、実は陰陽師さん達って庚申様の青面金剛さんなんかとも深い関係が~なんですね

 

表の信仰としては町の方々が庚申様~としてなのでしょうが

裏では案外疫病退散~とかで陰陽師なんかが拝んでいた気がします

 

もひとつがこちらの霊符神社

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これはもう完全に陰陽師の信仰でしょう~ ははは

大抵霊符人が祀られてるとこは陰陽師が移り住んでたという

感じですから

 

当然のごとく私も珍しく長いことこの神社で拝んでました

ちょうど夜で誰も来なかったし

 

そして霊符神社から陰陽道でいうところの北辰を眺める

 

町の姿は変わっていっても、天空の星たち(神々)は変わっていないんだな~と

 

古の陰陽師たちに思いをはせながら眺める

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ある意味、京の都よりも陰陽師の記憶が残ってる町なんでしょう

京都は陰陽師という以上に密教や戦乱、貴族たちの呪詛の記憶が上塗りされてますから

 

ちなみに一番新しい町の記憶はやはり蛤御門の戦いのように

維新の頃の戦乱や暗殺なのでしょうね~

 

じつは町のほぼほぼ全焼した応仁の乱の記憶というのはあんま感じないのです

 

 

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