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お経や真言を唱える意味

世の中には色んな祝詞や真言、お経がある

多分スピの世界にもそういうようなものがたくさんある(と思う)

 

そうすると、より効果のある真言やそういうものをと

求めちゃう

 

人間だもの

 

一般の方もそうだし行者さんやプロなんかでもそういう方多いと思う

 

私がいつも思うに、そういう方って結局効かないよな~と思うのDEATH

 

何故って簡単、お経や真言に重きを置いてないから

 

ある程度以上の力量を身に着けた方々が

他の真言やお経,修法を~は

全然ありなのです

 

なぜって今までのものをきちんと身に着けてるから

世の中って大抵素人さんに毛が生えたくらいの

レベルの方々ほど

より効果のあるもの~とジプシーしちゃう

 

そりゃあいつまでたっても効果は出せんわな~

といつも思いマッスル

 

私なんかは結局残ってるものって効果があるから

長年残ってきたと思うのです

何百年の伝統ってそういうもの

 

 

正確に言えば、多分明治以降の

(もしかしたらもっと後の現代と呼ばれる時代かも)

科学至上主義になる前まで残ってきたものって

効果のあるものだったんじゃないかと思うのです

 

お経や真言、祝詞、はたまた術って科学至上主義になる前は

 

医療であり、願望成就の道具でもあった

 

多分我々が想像できないくらい沢山あって、

何百年という時代の中で

取捨選択されていったと思うのです

 

結局大事なのって術や真言、祝詞なんかをどれだけ

重くできるか

 

重きを置けるかなんだと思うのです

 

私なんかは誰もが知ってる般若心経や観音経、

祓え給え~清め給え~だって

凄く効くと思ってるのです

 

そういうものを効かせれるくらいに重きをおけなきゃ

どんな難しい祝詞や術を知ったって効くわけはない

 

皆さんそういうものを唱えるときって本当に

効果ある??と思うと思うのです

ま、しゃ~ないわな~、人間だもの

 

ですがそれじゃなかなかね~

 

効くのかな~ではなく効かないわけないじゃん~

じゃないとだし

そこまでの心境になることが大事

結局そこってどれだけお経や神仏というものを

信じ切れるかの世界になるんだと思うのですね~

 

よ~く考えたら、

昔の田舎の拝み屋さんたちがどえらい難解なお経や術なんて普通は知らないじゃないっすか

 

それこそ観音経(間違えてたり)や

アビラウンケン一発で勝負という方だってたくさんいたし効いてた

そういうもんじゃないっすか

 

さてお経や真言 勝手に私が思ってることなのですが

お経って大抵は観音様ってこんな格好してて

こんな功徳があって~と言う感じの内容じゃないっすか

 

 

嵐にあっても助かります~ 

疫病でも助かります~みたいな

 

私的にはお経というものは仏様の働きそのもの

なんだろうな~と思うのです

 

真言なんかは、

梵字というのは仏様そのもの~なので、

真言も仏様そのもの

 

と言う感じでお経を唱える=仏の働きをのものをお口から~

真言は仏様そのものを~なのですね

 

そりゃあ効くでしょ~と思うのです

 

口から仏様の働きと仏様を発してるのですから

 

それプラス仏様とコンタクトをとる言語~

と言う側面だってあるだろうし、

眷属さんが動いてくれる言語~だってあるでしょうし

 

そう考えてたら、どんな初歩的な真言やお経だって

重くなるし~

なのですね

 

結局どんな術や真言も自分次第で重くも

軽くもなっちゃうんです

ちなみに最近私がはまってるのは

プロの方々の打撃理論

 

 

野球をやらない私にしたらびっくり!!

くらいの内容なんすね~

 

落合さんがいつもいう、トップの位置を固定~

バットの動き出しの場所を毎回変えてたらそりゃあ

タイミングなんかあわないわな~

 

ボールは両目でとらえるために~ 

構えって横向いてるから両目でとらえる

意識なんかなかったわな~

云々と素人の私はびっくりなことだらけ

 

それって言われりゃ当たり前のことなのでしょうし野球やってる方なら普通のこと、

 

そこにどれだけ重きを置いて極めていくことで技術が

上がるわけじゃないっすか~

 

プロってそういうもんなのだろうな~と 

めっちゃ興味深いので是非~ 

落合さんって次元がマジで違う究極の技術屋さんだな~

 

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