お盆真っ盛りということで供養のお話DEATH
供養というとお地蔵様や阿弥陀様というイメージ
わが家も浄土真宗さんなので阿弥陀様です
お地蔵様や阿弥陀様を拝むと悪いことして
地獄に行ったものなんかも助かる
そんな感じじゃないですか~
それ聞くとそんな悪いことして地獄に行ってるものを
たすけていいのか??
そんな思いも皆さんやっぱある
その辺りを
と言っても私もすごく詳しいわけでは当然ないので
私が勝手に感じる内容です
(当然内容はないよう~)
ははは
中身ナッシング
さて阿弥陀様もお地蔵様も仏教の仏様
キリスト教でもイスラム教でもなく
ということはやはり
因果論の中で働く方々だと思うのです
仏教は因果論ですから
ということは救済~といっても因果論の範囲での
救済なんだと思うのです
人を殺したとかどえらい悪いことをして
地獄に行ってるひとと、
普通に暮らしてたけど何らかの理由で
未浄化になってる人物であれば
同じように阿弥陀様が救済してくれても、
もしかして救済の度合い云々は違うかもな~
人を殺した因果がある人物は人を殺した
因果の範囲での救済なのかも
そうじゃない人の場合は、もしかして一足飛びに
阿弥陀様の世界に連れてってくれるかもしれないけど
殺人者の場合は、そんな感じではなく、
まずは生前の罪を悔い、反省し、償わねば~
まずはそんな心境にしてかもしれない
そんな心境に目覚めさせて、
あとはお前の反省度合いによって
償い度合いによってだぞ~
そこの目覚める手助けまでが私の救済の範囲で
ま~ったく反省も何もせんなら
いつまでもそこで苦しんでるしかないわな~
そんな感じなのかも
子孫や縁者なんかが何度も何度も、
何年も何年もその人物のために
お経読んだり供養したりというのは、
何度も何度も阿弥陀様なんかが
反省を促してくれるように~なのかもしれないですね
ま、ジミヘン説なので全く見当はずれかも
しれませんが
ははは