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護摩の効能と陰陽道

お護摩のお話 お護摩に願意を~ってあるじゃないですか

いわゆる護摩というやつ

 

色んな説なんかありますが(多分)私の解釈を

まずよく世間でいうのはお護摩の炎をご本尊様に届ける~

そんな感じ 多分皆さんもそんなイメージかと

 

もひとつが、お護摩で全部焼き尽くしちゃう

護摩木の108本は骨の数を表して、自分のすべてを焼き尽くしちゃう

 

護摩にくべるお供物のゴマやコメやらは人間の貪瞋痴を表してそれらも

焼き尽くしちゃう

こっからは私の勝手な感覚ですが 焼いて焼いて、最後に残ったものが

私やあなたの本質的なもので、願意えあれば本当に必要なもの

 

ご本尊様にしたら、こいつに本当に必要なものはこれね~みたいな

修験道の奥義でもある柱元護摩なんかは、全部焼き尽くして

 

最後にある作法をして、再生を表す

いわゆる死と再生を柱元護摩によってあらわす

というよりも護摩をたくことによってあらわすではなく、行うという方が正しい感覚

 

お偉い学者さんなんかが護摩や密教なんかを語りますが結局密教って

体験宗教だと思うのです(私的には陰陽道も)

 

資料を集めて机上の空論をいくら重ねても、体験しないと結局わからないしつかめない

 

陰陽道なんかも、様々な学者さんが文献あさって、土佐なんかに熱心に実地に行って、現存する太夫さんと交流して話を聞くけど

 

結局最後の実際に術を行う、術の世界、陰陽道の世界に入るという

体験ができない

仮にできたとしても、そんな一度や二度ではわかる世界ではないのです

ちらっと入り口をのぞくだけでは密教も陰陽道もやはり分からない

 

話ずれましたが、読者の皆さんが身近に護摩を体験であれば、成田山や

川崎太子のような大きなお寺さんに行ってゴマキに願意を書いて

それをお護摩で燃やしてもらう

 

多分お願いする皆さん自身が、こんなで願いって叶うの?と思ってると思うのですが

 

私的には、護摩の炎となってお不動様に届く~よりも

願意を護摩の炎で燃やし尽くすということの方が重要なんじゃないかと思うのです

 

願意=執着じゃないですか

 

しかもお金を払ってでも叶えたいという

それだけの執着を護摩の炎で焼き尽くすということが大事なんじゃないっすかね?

 

最近の引き寄せやら願いをかなえるには~って、執着してしゅうちゃくしt

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