皆さん神仏というものを拝んだり祈願したりする
恋愛成就や闘病平癒、商売繁盛等様々なお願いをする
それらが叶う場合もあればかなわない場合もある
さて拝んでたらなかなかいいことを教えてもらった
神仏というものの一番の贈り物は何だと思う??
それは仏の知慧というものだぞ~って
平安や鎌倉の昔、今ではあれな中国にお坊さんたちが
渡って様々なものを持ってきた
仏典からはじまり、工芸品や、最新の技術まで
例えば灌漑技術や水車のような技術から、
そば切りなんかの技術も
それらは大抵は日本の大陸への窓口である博多や
政治や文化の中心地
京都なんかに発祥の碑なんかが作られ、
そば切り発祥の地なんかになってる
それらの場所から日本中にその技術が伝えられ~
となっているが果たして本当か??
お前さ~、今と比べて交通網も文化や道具だって
圧倒的に少ない時代に
そうそう簡単に日本中にたいそうな技術が伝わっていったと思うか??
当時の最先端の技術を伝えたのは坊さん達だろ??
なんでだと思う?
ま、そんな感じなのですが
やり取り書くのは面倒なのでざっくり書きますが
当時の坊さん達っていわゆる日本を代表する
知識層であり今風に言えば科学者でも
あったわけじゃないっすか
そういう最先端の技術を持った仏教の専門家たちが
仏を拝んでたから
仏はそれらの知識層たちに仏の知慧としての
公共の利益となる
技術云々を教えたんですね~
だって文字も読めない、科学的基礎もない
百姓なんかに教えても結局は製品化
できないじゃないっすか
実はそれらの技術は唐から伝わって日本中に
伝わったというよりも
ほぼほぼ同時期に日本中で同じような知慧を授かって
同時進行的に発生したんだぞ~って
当然歴史というものは長い時間のスパンなので
前後何十年のタイムラグはあるけど~って
確かにそう考える方が納得かもな~
縄文土器や石器なんかも日本津々浦々で
似たようなものが発掘されますが、
学説なんかだと大陸あたりからやってきた
渡来系の人たちが九州あたりから
東北あたりまで移動して~といわれますよね
それもあったかもですが、
当時の移動手段や寿命考えたら案外同時期に
発明だったのかもな~
当時は僧侶という知識階級はなかったので、
神の知慧は村落の知識階級でもある巫女や
神官的な人たちに降りて行ったのかも
時代は下って明治の近代化以降、
お坊さん発のどえらいものってないじゃないっすか
やはりお坊さん以上の知識を持った科学者や
研究者といった方々んそれらの知慧が降りていくようになってるのでしょうな~
やはり神仏としては公共の利益となる知慧は、
発明で終わるのではなく
それらを製品化、実用化して公共の利益になるように~という願いを持ってるのでしょう
仏の知慧の泉は無限であって、
それに気づいて、手をス~と入れて
掬えばいい~とおっしゃいますが
いや~そう簡単に言われてもね~
ははは
さてレポ