皆様大好きな井戸や屋敷稲荷の続きです 井戸埋めや撤去って怖いと言いますよね~。わたしもすんごく怖いと思います
どれくらいってとっても!!((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
私の持論で伝統的な手法で開眼したりお呼びしたものは当然お帰りになっていただくときも伝統的手法で~と言うのがあるのです
井戸にしても屋敷稲荷にしても埋めたりお帰りに~と言うことは最近のものではないじゃないですか。それこそ何百年単位のものかもしれない
そんなものはどう考えたって伝統的な手法で開眼してるにきまってる
もひとつ当たり前に大事なのが、そういった伝統にのとって開眼したものは当然伝統にのとった日々のお祀りが大事なのです
よくわからんスピ的なやり方ではあかんよね~。普通に考えても。お帰り云々もよくわからん自己流のスピ的なものなんかはお相手さまが何やってるか理解できない、それ以前に失礼!!とばかりに起こったりすらしそうなんだと思うのです
やはりその手の作法ってとても重要。行う方の霊能云々以上に作法ということが大事なのだと思うのです
例えば家にお騒がせな森さんのようなえらい方をお呼びしたとしても、
料理出したり云々御接待しますが、やはり礼儀作法ということが大事なんだと思うのです。接待する家人の能力以前に
接待する側の能力云々は、きちんと失礼のない礼儀作法が出来て、その次の段階で見られることじゃないですか?
普通に考えて礼儀作法がなってなかったらその時点でアウト~ですもん
多分ですが、占い師上がりや、どこぞのスピセミナー開催~みたいな方々ってそこらあたりの大事なことに気づいてないのだろうな~ととても思うのです
それこそ日本の術場のなかで、西洋的なものもちこんで対処しちゃうみたいな(しかも持ち込んだものも案外思い込みのみだったりも)
だったら近所の小さな神社でもいいので地震祭なんかも神主さんにお願いしろよ~と思うのです
その神主さんには霊能がなく、土地の神様が何言ってるかなんかさっぱりわからないかもしれないですが
神道のお作法~をきちんとすること=その作法の力で神霊に通じる
そういうものじゃないですか~ お作法=法の力というもので
人間様のちんけな霊能よりも法の力の方が当然力があるにきまってる
だって千年以上も(何千年??)それをやり続けた術場がこの日本には出来上がってますし、私に言わせれば全く効果の無いものが何千年も続いてるわけないじゃんと思うのです
伝統的な神道~の世界でも、多分すべてを受け継いで行ってるわけでもないと思うのです
そこには淘汰というものがあって、今でも残ってるものは、やはり何かしら効くものと神道として大事なものが残ってると思うのです
ネット社会になり、より一層新しいものはいいものという風潮になってるじゃないですか
走れ走れの我らが張さん&金やん方式はダルをはじめ否定され(ダルは結果出してるから言う権利アリ)こともあろうか私のような野球素人なクソガキどもまでまるで自分がプロであるかのように、
今の最前線のものと比べたらクズ!!くらい言いよりますから~
ただ霊の世界って我々よりはるかに古い方達や神さまを扱う世界じゃないですか
それに今の最先端の科学を駆使しても霊や神仏というものの実態をつかむどころか立証すらできない段階
まだまだ科学も追いつけてないものに、今どきのスピ的な手法でアプローチというのもどうかと思うのです(あくまでも私の主観)
古いものに対しては古いアプローチというのは鉄則です
逆に心理学的な領域からであれば脳科学云々からのアプローチは正しいのでしょう
立ち位置の問題ですな
ちなみに古い霊なんかに現代的なアプローチや価値観って案外怖いことになりかねない
何故って当時の社会習慣や価値観を無視して現代の価値観でアプローチしちゃうからなのです
現代でいえば戦争って絶対悪じゃないですか(基本的に)
ただ江戸時代に入るまでの日本にいて、それを声高に叫ぶということが通用しますか?ということなのです
叫ぶのはいいけどそれで自分や家族は生き残れたか?という話
そういう社会情勢云々がわからずに現代的な価値観ばかりもちこんで古い霊を説得しようとしたって無理でしょ~と思うのです
光が見えますね~あの光の下にお行きなさい!!とか言われてもね~なんです
それだったら、道徳的な倫理観を諭すのであれば当時からあった宗教観で説得の方が相手にも通じやすいと思うのです
まあ時代として戦で殺しちゃうのは仕方ないよね~
ただその結果成仏できないのも現実で~ 仕方ないと正しいはまた別でさ~、そんなことをお釈迦様や阿弥陀様もおっしゃってるんだよね~(言ってるかはしらんけど)
そんな感じで当時からあった仏教に基づいたとかそういうアプローチが今風に言うと霊に対する生きた仏教なのかもですな