最近ではすっかり人気急落中の阿弥陀様。仏像好き女子なんかでも興福寺の阿修羅はシュッとしてイケメン!!やら東慶寺の水月観音はお美しい~と言う声は聞いても、私阿弥陀様がだ~い好き!!という声はほぼほぼ聞かれない
やはりパンチパーマと小池栄子ちゃん似の大仏フェイスが今風のイケメンじゃないことが大きな理由でしょう
さて我が家の阿弥陀様
いわゆる三尊像形式というものです ちなみに手前のうさぎや蛇や虎は式として使うもので毎日毎日お酒を飲んでいただいてます
なまはげさんのように、悪い子はいねが~と悪い子や大人にとびかかります ははは
ちなみに我が家の阿弥陀様はとても拝みやすい
真言がスーッと素直に阿弥陀様に入っていく感じで
たとえるならとても良い回転のストレートがミットにスーッと入っていくような感じなのです
さて阿弥陀様を拝んでるとこんなことを言われるのです
みんな阿弥陀の元(極楽浄土)に大事な人が行けるようにと拝むけど本来は違うぞ~
その人物にとって行くべきところに行けますように、すべきことが早くできますようになんだぞ~って
どういうことかと言いますと、亡くなった方の境涯に応じた場所に早く送ってください、この世に残らずに~と言うことなのです
生前善行を行って徳を積んだ人であれば極楽浄土に、欲深く強烈な貪りで他人を陥れたりしてきた人物は修羅界に~
そんな感じなのです 誰もが平等に極楽億楽というのは違うぞ~それは平等とは言えないぞと
仏の慈悲はみんなにあまねく平等に降り注ぐけど、平等に同じ場所に行くというのは間違ってる
そんな感じなのです
そして未浄化霊や地縛霊となってこの世にさまようのではなく、なるたけ早くいくべきとこに送って、そこでするべきことをさせるというのが仏の慈悲だぞ~
子孫や縁のあるこの世にいるものたちは、すべきことをしてるものたちの手助けとしてこの世で得を積んで(お経読んだりの供養も徳積みになります)それを回向することで手助けになるんだぞ~
ま、かいつまむとそんな感じ
世の中には、へそ曲がりさんなんかがいて、阿弥陀様おかしくない?
だって拝んだら人殺した人も悪いことした人もみんな極楽に行けるんでしょ?そんなのおかしい!!という方もおりますが
多分それは飢饉や戦乱、疫病に明け暮れ生きてても希望も何も無いから唯一の希望は死んだら即阿弥陀様のもとに行くこと!!といういわゆる末法思想が流行ってた頃の人々を救う方便だったのかも
南無阿弥陀仏と一度でも唱えたら極楽浄土に行けるよ~って
それくらいじゃないと皆さん希望も何ももてないし辛すぎる!!(と浄土真宗さんの布教のための方便でもかと)
多分仏様なんかも死んだらみんな平等に極楽に連れてきます~ではないと思うのです
生きてる人なんかも私を拝んだらなんでも叶えますではないと思うのです
拝んだ人たちに平等に仏の慈悲を照らします
ただその結果は各人の因縁にって変わりますよ~というのが真実なんじゃないかと
じゃ、因縁深いし悪いこと沢山したから拝んでも無駄じゃんという短慮な方も出そうですが、いやいや、そういう人こそですよ
拝んで信仰して仏様の慈悲の光を受けることによって少しずつ悪業や因縁を消していくことが大事なのであります
ともひとつ大事なのが、仏様を一生懸命拝めばいいというものではなく、それと同時に現実面でも徳積みという行動をせねばなのです
精神と肉体じゃないですが、良い言霊ばかり唱えてよい思いばかりしても現実にご飯食べなきゃ死にますよね?世の中神仏を一生懸命進行しても、現実世界の善行をしないとそらああかんわな~
片手落ちになります