今日はとても面白い話を聞きました サタデイナイトライブを気取って
くそつまらん×1000のぜんじろうの社会風刺ネタを1万倍くらい面白くしたくらい
腹を抱えてゲラゲラ笑って、笑いすぎておなかがよじれてけひょけひょむせ返るくらいのお話
いやいや、笑かしていただきました
お若い女性がとあるお寺さんで祈祷を受けて、宝くじで高額当選したけど、なんだか一等が当たるように願ってたらしくクレームを言ったという話
いやいや、どこぞのお方同様に基地外だわ!!
仏教というものの祈祷を術として考えるとすると、仏教というものは因果論で展開していくものなのです
得度すると怪というものを授けられてその中に正しくものを見ないとあかんわけよね~、仏教としての
というものがあるのです
仏教として正しく物事を~と言うのはどういうことかというと因果論です!!なのです
仏教というものが因果論というフィールドで展開しているものなので当然祈祷というものも因果論で展開するのです
なんだそりゃ??ですが、
人間様というのはやはりその日との因果に応じた運命というものがあってそこは基本超えられない
祈祷というものも、結局その因果の上の方のものまでは何とか持ってこれる場合もあるけどその先は基本手を出しちゃあかんよね~
宿命の領域っていじると魔術というものになって業を背負っちゃう
そんな感じなのです
一等を当選!!とどえらい高い祈祷を頼んだって因果論の中でその人が一等を当選する因果がなければ当たるはずがないのです
寿命云々だってそこで寿命が延びる因果がない場合はどれだけ祈ったって無理なのです
だって仏教は因果論で展開するのですから
結婚できない、何やってもできないというのも、身も蓋もない言い方すると結婚できるという因果がなければ無理だよね~なのです
じゃあ、その因果の有無ってどうすればわかるの?と言われたら、本当は人間様にはわからない領域なのだと思うのです
推測はできてもあくまでも推測で
なので本来祈祷を受ける側も、結婚できるかどうかは分かりませんが
と言う感じなのでしょう 結果はご本尊様にお任せになります
ただその結果がクライアント様の思い通りではなかったとしても、仏様から見たらそれが最良の答えなのです、何だと思うのです
だって人間なんでも思い通りに行くわけない!!
占いや術なんかも結局はどんな世界観で展開してるかが大事なのです
旧暦で展開してきた占いや術であればやはり旧暦ベースの方が確実に効くでしょうし、
占星術なんかも、実星(実際の天文学としての星の配置)で展開なのか
虚星(天文学が発達する以前の今の科学でいえばトンデモ天文)で展開なのかって重要なんだと思う
虚星で展開してきたものを、今の天文学で正しく配置しなおして、さてどっちが当たる確率が高いか?と言われれば、私は占星術は全くわからないのであれですが、なんとなく無k氏かもな~と言う気がせんでもない
占いを統計学的に学術的にとらえれば実星かもですが、占星術としての術としてとらえる場合は虚星なのかもな~と思うのです
術なんかは結局その術がどんな世界観で展開していくかということがやはり重要ですから
昔の呪術っておとぎ話のようなどえらい話よく残ってるじゃないですか
かなり盛ってるとは思いますが,現代よりはびっくりするようなことって起こしてたと思うのです
何故って簡単、社会や生活様式、人々の意識が呪術というものが展開する世界観の中で営まれてたから
ま、術場というものがしっかりと根付いてたからなのです
昭和のある時期からやはりどえらい派手な話って確実に減ってると思うのです
水木先生なんかは妖怪が減ったのは、社会が明るくなったから(電灯で実際に)といいますが
術の効きが悪くなったのって結局高度経済成長前後なんだと思うのです
現代社会と地続きとなる、科学文明が全盛になっていくに従い
ああ、そんなの迷信だわ~とか村社会が崩壊して言ったり、術が展開していった世界観がガラガラガラっと変わっていったからなんじゃないっすかね~