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帝都東京は風水都市

おら東京さいぐだ~と敬愛する吉IKZO先生の如く東京さ行って

高層ビル群なんか見てると、ビルというのは風水を変えちゃうよな~とつくづく思う

新宿辺りのビル群に行くと、もう気の流れだか風水だかがわかんない

というかな~んか乱れるというか渦巻くというか

こういうのって私のように肌感で感じようとしてももう無駄なのでしょう

 

昔の国見のようにどこぞの山から俯瞰して街を見下ろす、地形を見下ろすと言う感じで俯瞰して、全体の流れとして~なんでしょうな~

当たり前ですが

購入当初は良き風水であっても、これだけ乱立するとお隣にでかいビルが建ったり取り壊されたりですぐ変わっちゃうんだろうな~

そう考えると元々の気の良い場所に!!と思っちゃいますね~

 

戦後のしばらくまで皇居の周りって建物の高さの規制があったじゃないですか

100メートルを超えちゃだめだと

東京海上ビルが125メートルで計画しましたが結局は100メートルにさせられちゃったりと

ちなみに私はこんな不遜な東京海上の火災保険には入りません!!!

結局は天皇陛下の皇居をのぞかれちゃう云々という反対にあい99メートルとなりましたが

 

あれも表向きはそういう理由でしょうが、本当は皇居周辺の気の流れを変えられては日本の風水的なものがおかしくなる、国体に影響が出る!!そんな意味合いだったんじゃないでしょうか

 

何といってもあの辺りって日本最強の人工的な風水スポット

近代でも皇居の素晴らしい気をめぐらせるように鉄道網が~とか

山手線は鉄の結界としてといわれてるくらいっすからね~

 

関東大震災で崩壊した帝都東京復興を計画した復興省の大臣だった後藤新平さんは風水にとても詳しく、風水都市として帝都を復興したと言われてますしね~

この方満鉄の総裁なんか歴任した方なので、多分満鉄総裁歴任してたり

児玉さんが台湾総督時代に補佐していたりなので、その時に風水の本場台湾で風水なんかを大いに学んで

満鉄~時に鉄道で風水を運ぶ云々を覚えたんじゃないかな~と思ってます

 

何故って明治政府はとっても風水がお好きだったのです

明治期に朝鮮総督府~で朝鮮支配してた時に明治政府が何をやったかというと、風水の気が流れてる場所に杭を打ちまくって風水の流れを分断したという話が残ってるほどなのです

 

それ見て朝鮮の方々はヒエ~~~と震え上がった(らしい)

もしかしたら後藤さんを台湾に招集したのは表向きは生物学の研究(後藤さんはお医者さん)ですが裏では風水を盗んでこい

そんな気がします そしてそれを身に着けたら今度は満鉄の総裁になって大陸で風水を鉄道使って流す実験してこい

 

鉄の結界の実験をしてこい!!そんな密命があったんじゃないかと本気で思っております

そんな方が復興した帝都、風水都市じゃないわけがない!!

ついでに当時風水を駆使してまで何を守りたかった、何を繁栄させたかったというと日本という国、東京という都市もですが、それってとりもなおさず天皇家があってこそなのです

 

当然もっとも守るべきものは明治天皇でありそのお住まいの御所でしょう!!

そんな大事な御所の風水を結果乱すようなことになる高層ビルを建設しようなんて不敬すぎです!!

ちなみにその計画は大三菱様が大反対したのですが、

普通に考えたら日本の国家企業ともいうべき大財閥の三菱であれば

東京海上より高い建物たてれるじゃん、土地だって買い占めて

 

それをせずになおかつ反対するというのはやはり三菱さんは帝都風水計画というのをよ~くご存じだったんでしょうな~

 

てか三菱地所さんあたりが風水うんぬんを完全に無視した都市計画進めてたらめっちゃ嫌ですよね~ ははは

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