皆さん興味津々な供養や因縁のはなしDEATH
私も安易に供養しなよ~云々言いますがこれが本当はよくわからん
てかみんなよくわからんというのが本音なんだと思うのです
家系の因縁があります、業があります、そんな言い方あるじゃないっすか
厳密にいえばだれがどういう因縁作ったかなんてわかんない
霊能者がこの方が~と言う場合も、その人にとってはそう感じるというだけで検証のしようがない
例えば先祖が有名な方で文献なんかにのたくさんの人を虐殺したとあるとする
それが因縁となってる場合はありますが、今起きてる好ましくない問題に直接影響する因縁かどうかは分からない
もしかしたらもっと別な先祖の因縁かもしれない
供養だって本当はピンポイントでこの人が必要というのは分からない
水死した人がいる=浮かばれてない
そんな場合もありますが、もしかしたらその人には供養が行き届いていたり,生前徳分があったり、どこか悟ったような人物で死というものを素直に受け入れれてて、普通に上がってる方かもしれない
先祖と言ったってさかのぼれば膨大な数になる さてどこまでやればいいですか??
おばあさんの母方の家??云々出てくる 現実かなり遠い先祖になるからお墓いったお坊さん読んでお経呼んでもらう云々もむづかしい
というのが本音じゃないっすか
あくまでも私が思うに、結局自分の父方と母方を中心にしかないと思うのです
そこを柱に、気になる方や面識のあった方(爺ちゃん祖母ちゃんくらいまで??)はピンポイントで
あとは全体としてぼんやりと それくらいしかないと思うのです
大事なのは全体に~何だと思います 誰が供養が行き届いて無く苦しんでる云々ではなく全体に供養して、必要なところに供養が行き届きますように~
そんな感じなんすかね
先祖が仮にどなたかに迷惑かけてたとしたら~とありましたが そこも全体として良き縁、悪き縁も含めて家系に縁のあった方~がいいのかも
それだってピンポイントで分かりっこないので必要な方に届くと言う感じで
大事なのは全体としてなのかもですね
何故って簡単、ピンポイントでこの人~となると抜け落ちる人だらけですから 我々が把握なんてできっこないくらいにたくさんの方々がいますからね~
ま、そう考えると供養なんて我々一代では終わりっこない
我々が生きてる間にも縁のある方はしんでくし、普通に業だって作る
そう考えたら供養というものは代々やっていくしかないのでしょう
見たこともない先祖の供養の功徳がもしかして私たちに回ってるかもですし、私たちの功徳が見たこともない未来の子孫に回っていくのでしょうから
なのでこの因縁を!!と言う感じで100メートル全力ダッシュ!‼的に必死こいて全力で供養というよりは
供養というのは私の代だけでなく子々孫々までひたすらやってくもんだわな~というくらいの淡々とした気持ちで細く長くでも続けることが大事なんじゃないでしょうか
で、基本そんな感じでやっていって、何かのきっかけでこの人は!!という方が現れたらそれはそれでその都度その都度ピンポイントで~でいいんじゃないっすか?としか正直言えないと思います
因縁なんて一代じゃ消えないしょ!!でも徳分だってどなたか1代分だけではないのですから
なのでまあ因縁もあるし、先祖だって徳をつないでくれてるんだから良しとしよう、と言う感じで現実をとりあえず受け止めて、ついでにそんな先祖の徳というのを感謝しながら粛々と供養してくのがよろしいのではないか
開運というもので考えれば一番の近道なのかもですね(本音でいえば開運ってなんだ??と私なんかは思ってますが)
さてレポ
母の介護、妹のガン、私の解雇でブレスを組んでいただいた者です。