さて昨日の弘法様~のお宅のお話の続き 闘病してるお母さんのおじいさんという方、かなり信仰熱心だったらしく家の四方を拝む四方拝なんかを毎日やっていたらしい
先祖の業が~と言う話よく聞くじゃないですな?わが家は先祖の業が深いから何やってもうまくいかないと
でも先祖って徳を積んだ方もいるわけでして、このお母さんは多分お爺さんの信仰の徳というものを頂いてるのでしょうね~
多分先祖の徳というものって、才能云々というよりも状況としてもらえることが多いんじゃないかと思います
それこそお金持ちで幸せな家庭に生まれる、なんだか事業がうまくいくというようなことも、そういった状況が幸せ~と言うことっすからね
正しい信仰というものは多分徳となるのでしょう(何をもって正しい信仰というかはむづかしいですが)
多分本来の意味の正しい信仰というのは、あまり自分の欲望をかなえて~を前面に出さずに、神仏様というものは崇め奉って、感謝というものを奉納して、その輝く気持ちで神仏様に一層輝いていただき、
昔でいうところの修身の教科書に載ってるような生き方をすることなんでしょう
といっても当然修身の教科書は読んだことがないので中身は知りませんが ははは
道徳に照らし合わせていわゆる良き生き方してけよ~何でしょうな
親孝行から始まって人に親切~云々そんな感じの
それに、信仰してる神道であったり仏教であったりキリスト教であったりの教えを守って教えに沿った生き方~なのだと思います
ちなみに私が思うに本来宗教なんかの教えって、いわゆる道徳的な内容から外れる教えではないと思うのです
普通に考えてそこから外れるような教えってよろしくないじゃないっすか~
なのでそこから外れるような生き方や信仰を推奨するような宗教は、カルトと呼んでもいいんじゃないかと思っております
だって変じゃん~
オウムもそうだったのでしょうし、そのほかの宗派なんかでも宗教で世界の立て直しというところ、世界中でまだあるじゃないっすか
私なんかにしたらそれは政治のお仕事で宗教のお仕事ではない
自分たちの本業以外のとこに手を出すと、事業も宗教もろくなことにならないと思っております
質問で霊験と幻聴の違いは?とありましたが 正直知らんがな ははは
霊言云々と言った神からのメッセージ云々も多分広義の意味でいえば「幻聴なんだと思います
あえて違いというとなんすかね?やはり社会状況や常識と言ったものに照らし合わせてとんでもない内容は幻聴やあまりよろしくない霊からなのかも
あとですね、いつも言いますが視える、聴こえるというレベルって低いのです
本来は分かるというものだと思います
視える、聴こえるってそこに判断が必要じゃないっすか
その判断を案外狂わせるような内容を見せたり聴こえたりって多いのです
分かるって判断という思考が介入しい だってそうだもんの世界なので本来はそっちだと思います
視える、聴こえるの場合は鵜呑みにせずに、突っ込みまくるのです
こうしろ~と言うお告げが来たら、何故に?と
ま、一人で審神者なんかやっていくと、いわゆる野狐や狸のような動物霊の場合はしっぽがでます(実際にゅるっとしっぽがではなく、会話の整合性が取れなくなる)
よほど賢かったりする相手でなければ、眷属様でない場合ってどこかでしっぽが出ること多し(所詮動物霊ですから)
ま、そういった霊と会話してやり込めれるくらいの知識や常識云々を持ち合わすというのも大事なのかも