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神仏に願いをかなえてもらうために気を付けること

行者さんのお仕事は拝むこと、神主さんもお坊さんも霊能者と呼ばれる様な霊を扱う方だって本来は拝むということがお仕事

拝んでも、神仏の声が聞こえない、祈祷が効かない~とい方もいるでしょうが私に言わせれば、聴こえるまで拝めばいい、聞くまで拝めばいいと思ってるのです

10年でも20年でも場合によっては来世までも

プロと名がつくものってそういうもの

野球だって結果が出るまでひたすらバットを振り続ける、自分の打撃がつかめるまでひたすら振り続ける

 

向き不向や私の嫌いな言葉のお役目、天職というものがあるとすれば、

その過程をできる人間のことなんだと思うのです

 

ひたすらバット振るって嫌じゃないっすか、しんどいじゃないですか

結局それでもそれをやり切れる何かを持ってるかどうかなのだと思うのです

イチローさんのようにその過程が楽しくて仕方ない人もいれば、毎日バット振るのがすごく嫌なのですが、それでもやらないといけないこと、それはやるべきことと思える人が使命なのでしょうね~

 

祈祷も野球も武術だって達人という人がいる

共通するのは力まない、脱力じゃないですか その領域に達して見えるもの、感じるものが多分それだと思うのです

 

それきいてそこまで達してない人間が力まず脱力~してもたいていうまくいかない

何故って簡単な話で、達人と呼ばれる方たちも、力みまくって気合い入れまくってという時代を通過した結果その領域に~だから

 

中には天才と呼ばれる人種がいて、いきなりその領域に行ける方もいますが、そうそういない

達人さんたちって、我々が、うわ~そりゃ無理だわ、できないわというような大変な修行や練習の果てに至った境地

その過程に気づけずに形だけまねてもそりゃあ無理だわな~と思います

 

もひとつ思うのが、拝むじゃないですか

プロの方でも、自分の大事な人が病気~や人生の勝負~云々の時って

神さまにだって真剣にお願いするじゃないですか

 

世の風潮として、いわゆるお告げ的に神の声が聞こえることが素晴らしい、聴こえる人が偉大となってるじゃないっすか

聴こえないと効果が何もないんじゃないか?くらいに

真剣に拝んだりお願いしてるときに、ふと聴こえたり感じたりするものは、まあ相手に伝えるものであったり何かしらのアドバイスなのかもしれませんが

 

な~んも感じず聴こえないばあい、みなさんがガクッと肩を落としちゃう場合って、案外全部神仏にゆだねろよ~、結果までゆだねろよ~と言うことなんじゃないかと思うのです

 

ああ、それってお前ら人間にアドバイスしてちょこちょここざかしく動く問題ではなく、人間は現実にやれることはやり切って、あとは全部任せる問題だぞ~なんじゃないかと思うのです

ま、そこに前提条件はあるのですが

私なんかが思うに神仏という方たちにお願いに行くときの前提条件として、やるべきことをやったうえでという前提条件があるのだと思うのです

 

合格祈願であればできうる努力をやり切ったうえでみたいな感じで

やるべきこともせずに祈願に行くというのは逆に失礼なんじゃないかとさえ思うのです

 

凄いコネを持った親戚のおじさんに一流企業の就職をお願いに行くときに、髪の毛まっかっかでオラオラ系のような恰好でお願いに行くっ普通に考えて相手に失礼じゃないですか

しかもどう考えてもその企業で働く能力も身に着けてなかったら、おじさんの顔に泥塗るようなもんじゃないっすか

そんな感じだと思うのです

 

そういう準備すらできてない祈願って私の感覚ですと神様に届ける眷属や霊的な存在が却下してると思うのです

中にはきつい眷属なんかだったら逆にお前は自分たちの神様にどれだけ失礼なことをしてるんだ!!と怒らせてる場合だってあると思うのです

 

そのあたりは気を付けた方がいいと思いますな

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