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執着と生霊

 

世の中には執着というものがありまして、それがよいか悪いかわかりません 

というか実はよいも悪いものないのでしょう
ただそういうもの、道具と同じで使う人によってよいものににも悪いものにもなる

それだけなのでしょう。

世の中のもの、人類の進歩、科学の進歩って必要と執着によって生み出されるものもじゃないですか


よい悪いなんかは本当はなくただの道具であって、大事なのはその道具をどう使うか 使う人間の道徳心なんでしょうね


執着しまくらなければ功なり名を残せないですし、人類を救うようなものって作れないじゃないですか

わたしのように、まあいいじゃん~来世でいいじゃん~と言ってたらノーベル賞なんてとれっこないでしょうし

逆に執着しすぎると生霊となったり成仏できなかったり

生霊もある一定以上に執着するとその場所であったり、あのものや相手に想念が着いてその想念が物質化(?)するのでしょう 

もしくはそこにあった他の念や死霊のエネルギーなんかにえんやっこらしょっとくっついて何だかどえらいものが出来上がっちゃう

そういうことも中にはあるのでしょう

 

親の愛情であれば子を守ることもあるしその愛情がゆがんで
子供の道を、自分のよいと思われるものにしようとしすぎれば縛りすぎちゃって子供の道が逆に狭まったりゆがんだりもです

そこはですね、正直自分も悩むとこでして。たとえば相談に乗るじゃないですか、
私の中でこれが一番よいと思う道があったとして

さてそれは正しいのか?たんに私レベルの話でじつはもっとよい道はあるんじゃないか?


それを提示したとしたらその人はそれに縛られ逆に悪くなるのでは?

とか思うわけ

なので基本的に提示するものもいくつか提示するようにしてます 

1つよりは2,3と増えたほうが縛られるのは少なくなるしそこに自分で選択するというものができるでしょ?

ま、あなたが思いつかないようなものを提示しますから自分で判断して選んでね~とそんな感じ

私の感覚だとすごく大事でして執着も自分が正しい執着の使い方をしてるか確かめながらですかね?

子供への執着、難しいですよね。大人が見たら絶対こっちに行くべき この道に行くべきってあるじゃないですか?

特に親だったら心配ですから 

今だったらダンスブームとかでじぶんとこの子供が将来はラッキー池田先生のような偉大なダンサーになりたい!!とか言って塾行くにも、買い物行くにもラッキー先生よろしく、股間にぱお~んとゾウの頭つけてたら心配じゃないっすか

いやいや、ラッキー先生はダンサーというより振付師として名を成した方だぞ!!と言いたくなるじゃないっすか(ま、それ以前にその恰好はやめろと)

 

そこを強制していいのか?どうなんでしょ?
たとえば子供を3人東大に入れるために子供のころから効果のある学習や生活を強要してめでたく東大に入って1流企業や官僚になって 

生活も安定し~という生活を送れました

どうですか?そこに子供の意思、選択はないわけでしょ?

親としては子供も勉強を嫌がらなかったし東大に入りたいという気持ちでしたと子供もそうだったと

ですがそれは物心つく前からの刷り込みでそれ以外の選択肢はないという前提条件だったとも

これはなんともいえないですよね~

子供のためになってるかといえばすごくなってますし 

 

逆に大人になったら、自分は子供らしい子供時代を送れなかったと思うかもですし
子供がどういういきかたをしてどういう職業が成功という
答えがないですから 

話脱線しましたが結局よく生きてよく死ぬ、それが大事なんじゃなのかも

昔のお偉い方が言ってたように


生きてる間は執着しまくってもいいしただ死んだ瞬間に執着は手放して
上手に死にましょうって

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