直江兼続さんの兜のお前立ての愛という文字、実は愛染様ではなく、愛宕権現の愛だそうです
実は愛染明王を信仰してたという記録は一切ないらしく、後年の人たちが愛だから愛染様だろ!!と言ってたようです
愛宕権現様の記録はあるそうです
ついでに兼続さん摩利支天の信仰もあったそうです
そういえば主君の謙信公も飯綱様のお前立ての兜があった(気がする)ので地理的にも上杉家ってかなり修験関係からもたらせられる情報握ってたんでしょうな~
ついでに上杉家も忍びをよく使ってたじゃないっすか
摩利支天=陽炎で忍びなんかも結構信仰してたりなのでなるほど~と
ご指摘ありがとうございました!!