鎌倉にはなぜ怪異が多いかの続編DEATH
ちなみにジミヘンさんのブログは、眼鏡かけたさえないクソガキが、
学校一の美少女に恋して、こりゃあ魔法でも覚えて落とすしかないわいな~と言うことで、
魔法をGETしにサルや河童や豚を従えて旅をするというハリーポッターとかいうドタバタコメディ同様のファンタジーなので
本気にするなYO!!(その映画見たことないのであくまでも憶測)
そんな鎌倉、海岸線は波で浸食され、津波の大被害にあって町中はいくつもの河が蛇行して本来人が住みにくい土地だったという地名と
中心部は砂地で水はけが悪くという土地だったというのは前回で書いたので割愛
ということでポイントは人が住む場所ではないと土地自体が多くの水を含んだ湿気多い場所ということ
未浄化霊って何を求めるかというとやはり水分じゃないっすか
昔からの言い伝えなんかでも未浄化霊って水をくれ~っていうし、ドロロン~とお化けが出るのってジメっとした梅雨あたりから柳の下で深夜というのが定番
(皿屋敷~のように)
私なんかも朝起きるとのどがカラカラで未浄化霊に体の水分取られてんじゃないか?と思いますし、案外すがるという意味合いと同時にそういう意味合いもあんの?と思ったりなのです
そんな感じで実は未浄化霊って湿気の多い土地にたまりやすい、集まりやすい性質があるんじゃないかと睨んでるのです
百鬼夜行の京の都なんかも湿気多くジメっとしてますし
それプラス本来人が住むべき場所じゃない、ということはだれが住んどった?というと案外霊的存在が幅利かせてたんじゃないか?
物の怪云々という、そんな感じがするのです
漫画の鎌倉物語なんかには人間が住む鎌倉と魔物が住む魔界鎌倉が存在してたりじゃないっすか?案外そんな感じなのかも
気学的に言えば五黄方位に行く人って元から暗剣殺しょって行く~のと同様に戦に明け暮れた都市鎌倉は元からそういう人が集まりやすい場所だったのかも??
鎌倉幕府の性質上内ゲバが多かったというのと同時に元から内ゲバが起こりやすいような土地だったからそんな人たちが集まりやすかった
そんな気がせんでもない
湿気多く未浄化霊や魔物なんかが元から多い土地だったからそういうものたちに呼ばれるという側面もあったのかも?と壮大な妄想なのですが
ちなみに頼朝さんが鎌倉を本拠と決めて最初に手掛けた大事業が鶴岡八幡宮を今の場所に作って、若宮大路に排水溝をめぐらして鎌倉の中心部の水はけを良くしたじゃないっすか
現実には人が住みやすい環境を作るためですが霊的には、氏神様を立派に祀って、湿気を無くして未浄化霊を集まりにくくという霊的防御でもあったんですよね
ちなみに霊的防御って後付けじゃん??たまたまそういう側面でもこじつけれるだけじゃん??と言われそうですが実際そうだよ~
なにか??なにか??なにか?
ははは
ですが実は私は案外そういいきれないんじゃないかとも思ってたりなのです
何故かと言いますと実は頼朝をはじめとする歴代の幕府の政権運営者と言いますか、鎌倉幕府というものの性質が、かなり霊的なもの、呪術というものを重要視してたのです
中世の京都が密教なんかで彩られたとすると(陰陽道~密教に牛耳られてますよね)
実は鎌倉って室町時代あたりまでは完全に陰陽道だったのです
歴史の教科書的には禅宗のイメージ強いですが、多分あれは江戸時代の
朱子学の導入と同様に、実際の霊的防御というよりもイデオロギーの注入のためだったと思うのです
ちなみに朱子学注入の家康さんですが、この方が最も尊敬してたのが鎌倉幕府の創設者源頼朝公で、愛読書は鎌倉幕府の歴史書、吾妻鏡だったというのは有名じゃないですか
なので政権、国民の基盤となるイデオロギーというものが必要というのは頼朝から学んだんじゃないかと思うのです
どこにも書かれてない感じですが(こじつけか??)
ついでに
お公家様や武士なんかの規範となる法律、禁中並びに武家諸法度という法律は鎌倉幕府の執権北条泰時さんの武士の規範書、御成敗式目から頂いたでしょうな~
ということで次回は鎌倉幕府と陰陽道ヘン(JIMI)