いつもの妄想です
織田信長と本能寺についてですが、もしかして呪詛なんかも影響してたのかも?と思ったりなのです
誰のって武田信玄(なのか勝頼なのかどちらか)
信長が長年の宿敵武田を滅ぼした折、旅行もかねて武田領~駿河あたりまで旅行に行ってるのです
本能寺で討たれる40日くらい前まで
かなりうれしかったらしく、富士山の山麓で狂ったように馬を乗り回したり(今でいう暴走行為)
行く先々でどえらい接待受けたり(特に家康から)それは楽しい旅だったのです
ちなみに家康の接待というのが度を越しすぎで同盟者というよりは家臣です
詳しくはそのうち
光秀が信長を討った理由の一つとして言われるのが家康を光秀が接待したときに、信長に殴られてその恨みという怨恨説あるじゃないですか
私的には直接の原因はそれだけではないだろうな~、要因の一つではあってもと思ってたのですが
ふと先日浮かんだことが
呪詛じゃない??って
実はこの騒動があった場所って諏訪大社なんです
諏訪大社に信長の接待のためのお屋敷建ててそこでの接待中に信長がマジ切れしてみんなの前で光秀を殴打(今でいえばマウントポジションからの馬乗り殴打に近いんじゃないか?)
され大恥かいて悔しくて泣いたそんな事件で、これは実際にあったかどうかがいまだに真偽が分かれますが
私も以前はなかったと思ってましたが、場所が諏訪大社だったと知ってからは確実にあったと思うようになったのです
信長の宿敵武田信玄さん、この方凄く呪術するかたじゃないですか
正確にはこの方はしない(と思う)でしょうが配下にさせてた人で
陰陽師~様々な呪術家抱えてた、いまだにお墓の本当の場所分かってないじゃないですか?
いくつか候補地はあっても これって自分の死後遺体を呪術に使われるのを嫌ったからはっきりさせなかったんじゃないかと思うのです
多分死後、武田は滅びると思ってた気がします
滅亡後信長が自分の遺体を呪術に使うんじゃないか?と
この方って諏訪大社の大祝の諏訪氏を滅ぼしてるじゃないですか?娘はもらって。
これって自分たちに諏訪大社の血を取り入れるということを絶対意図してますよね??
ここまでの前段階があるとなんか匂いません?
修験で山に入ってるときや行中に起こることって偶然に見えても実は全部意味がある、必然と言われているのですが、そう考えると諏訪大社での光秀殴打事件
偶然のようで必然と思えません?
実は信玄が信長調伏の呪詛を諏訪大社にさせてたんじゃないかと思いません?
というか絶対させてますよね??
諏訪の娘さんは信玄の側室になって勝頼公を産んでいるのです
勝頼は諏訪の血を引いているわけじゃないですか?
その勝頼が信長に滅ぼされそのタイミングで諏訪大社に物見湯山でやってきての光秀殴打
諏訪大社の神様が案外勝頼を滅ぼしたにっくき信長を諏訪大社に誘い込んで光秀を使って本能寺の遠因を仕立て上げたという気がしてならないのです
ちなみに光秀本能寺の要因は私の説ではこれと言った絶対的なものというよりも、四国討伐の変更や、信長による殴打、はたまた年齢的な衰えや自分自身の将来への不安なんかを常に持ってうつうつとしており
今風にいえば鬱状態だったんじゃないかと思うのです
今の鬱の会社員と違い光秀の場合は軍勢を持っており、なおかつ会社を退職すれば縁を切れるわけではなく、ブラック企業織田商店と縁を切る
=殺される図式なのですし
そこに正親町天皇あたりから、(公家衆)いわゆるやくざ的に言えば空気入れられてその気になった
(このタイミングなら確実に信長を殺せるよ~、その後は朝廷が光秀を応援するから殺しちゃいなよ)
そんな感じなのでしょう
ま、敵対する巨大組織のトップの弾を取ってこい、その後はな~んも心配いらない、家族の面倒も見るし、戻ってきたら幹部として迎えるからな~と鉄砲玉として使って
その後は見殺し、そんな感じだったと思います