極楽寺の切り通し
ここの崖の上から時折弓を持った御家人の霊が何人も視れちゃいます
新田義貞公の鎌倉攻略時の幕府方なのでしょう
ちなみにこの崖の海側あたりが新田公が海に刀を投げ入れたら、海がわれ、そこから鎌倉に攻め入ったとされる稲村ケ崎です
私の感覚では当時の海岸線は今よりも砂浜が広く、干潮時は稲村も砂浜を渡れたのでは?
多分その時間を村人か何かから聞いており、そこを狙って刀を投げ入れ、海が割れるのを部下たちに見せ、武運は我にあり~と言う感じで
士気を高めたんじゃないかと睨んでます(という霊視をしたことが)
多分それが史実に近いと感じます