もう10年以上前の(20年近く??)ことなので微妙ですが
不思議研究所というものがありまして、森田健さんという方が世界の不思議を調査!!そんな感じで占いやモンロー研究所云々取り上げて
そして森田さんは女装に走っていく~ 確かそんな感じのとこでなかなか面白く著作を買ったりしてました
さてその森田さんが確か運命のハンドルを手放せてきな事を言ってたような気がしますが、今になるとすごくわかる(違ったかも)
神仏という存在がいまして、究極の信仰というのはハンドルを手放してすべてお任せ~何だと思うのです
ただ人間ってお任せするのは怖い、人生や結果が自分の意とする方向ではないとこに行くのが非常に怖いじゃないですか
まそれを信仰という観点から見ると神仏を信じ切っていないからそうでしょ~となるのでしょうが
と書くとカルト宗教のようになりますが 言いなりになれと
ただそこで非常に大事なことがあると思うのです
結果はハンドルを手放して完全に任せてる
でも一番大事なのはそこに至るプロセスなんだと思うのです
この世の仲って物質社会じゃないですか、肉体をもって物質社会に実際に生きてる
どこぞの聖人のようにそれらを隔離して仙人のように夢と理想を食べては生きていけない、仮に自分は生きていけても家族なんかは喰わせれっこない
そんな世界に生きてる我々はもしかしたら結果以上にそこに至るプロセスが大事なのかも
それを他人にお任せ、他人の判断にお任せは絶対にダメなのでしょう
試験の結果云々は神仏様に~でもそこに至るお勉強云々というプロセスは自分が主導でやっていく、そしてその勉強するというプロセスが何よりも大事なのだと思います
さて、そんな感じで結果に至るプロセスを主導的に行っったら最後は手ばなす
以前書きましたが我々人間と神仏が見通してるものってやはり見てる先が違うと思うのです
最近私が特に思うのが自分がハンドルを強く握れば握るほど神仏や神霊というものは引っ込むというか手を貸さない
お、ジミヘン、自分でハンドル強く握ってるのね
だったら任せとくわ~そんな感じなのだと思うのです
多分それは円グラフで私が8割握ってれば神仏の介入は2割
そんな感覚なのです
術や祈祷なんかも強くひたすら祈ると実はそんな効かないよね~
そんな話もありますが多分そういうことなのだと思うのです
そこまで強く祈らないと神仏は動かないと思ってるわけね~そりゃあ我々を信用してないということじゃん!!そんな感覚なのかも
話変わりますが日常のお勤めや行云々あるじゃないっすか
お経あげたり供物あげたり真言唱えたり、山行ったり云々
野球でいえば筋トレや素振り的にバットを振る地力をつけるためでもあり、神仏様やご眷属様に感謝を表すものでもありますが
そこにも一つ大事なことが 多分そういうことを毎日毎日することで神仏なんかを信用する心を作ることなのでしょう
ま、信仰というもの
普通に考えたらそんなお像やお札なんか生きてるわけないっしょ~
いまはアポロが月に行ったどころではなく板東さんが植毛して経費が認められない時代なのにそんな非科学的な!!
多分皆さんそう思われてるでしょうが ははは
続く