タイトルにちょっと偽り有りDEATH、JAROに電話するなよ!!
上手に願いをかなえてもらうというよりも仏様と縁を深めるにはです
さて仏様に手を合わせる機会あると思います、中には熱心にお参りしたり拝まれてる方もいると思います
仏様には仏性というものが備わっていまして、私が思うに、富を~愛を~と直接熱心に拝むよりもその仏性というものを引き出すように拝むといいと思うのです
仏性=性格や性質とも 我が家のダキニ様はやはり慈悲が一番色濃い気がするのです
なので其の慈悲が引き出されるように拝む。人間というものは潜在意識化の集合無意識という領域で皆さんつながってるという説があるじゃないっすか
多分人間以外のものにもその領域はつながってる
仏様の慈悲を引き出し、それを大きくするのなら、自分自身が慈悲の心をもってその心で拝む
其れこそ自分の慈悲の心を大きくはぐくみながら拝む
そうすると多分仏様の慈悲の心と感応していく、私も仏様の慈悲の心も大きく引き出されていく
そんな感じじゃなかろうか?と思ったりするのです
人間、凄く良い人だって100パーセントの善の心しかないわけではない
逆に大量殺人した人間だって多分善の心は少しはある、
一人の人間にはたくさんの性質や人格が宿っている
どれが強く出やすいかというだけの話で、潜在的に出やすいものもあればコントロールできる(というかしないといけない)ものもある
多分仏様だって同じ
慈悲の塊~のようなお姿だって多分憤怒というものは持っていると思うのです
ではどの仏性が色濃いか?そりゃあ、まめにお寺通って仏様と触れ合う時間や回数増やしたり、家でお札を拝んだりして、徐々に感じましょう
その行為が仏縁深めることですから!!なのですが
それでは冷たすぎな私なのでちょっとヒントになりそうなことも
その仏様が何の目的で作られたり、何の目的で拝まれたりしてたというのも案外ヒントになるのかもですね
お地蔵様と一口に言っても、事故現場なんかで供養のために建てられてるお地蔵様は、多分なくなったお子様の供養の目的じゃないですか
お地蔵様ってご利益あるよね~と言う感じでそういう方に増益や恋愛成就なんかをお願いしたり云々はちと違う気がするじゃないっすか
仏像というのも、人間が勝手に彫って作ったものではありますが、
実は仏様が現れたかったという場合も結構あると思うのです
世にお像という形を持ったものとして表れて、仏様の仏性というものを大きく引き出してほしい
そんな思いもあるのだと思います
仏様に手を合わせるって、たいていは修学旅行の観光で行った~から始まって何かしらの現生利益のためにお願いする
皆さんそこで終わってると思うのです ご利益があれば信仰に進む方もいればご利益がなければそこでおしまいの方もいる
ま、それは仏縁ですから、そこでおしまいの方はそれはそれで仕方ないと思うのです
ああ、仏縁が薄かったのねで
さてそのご利益から入っていったら、次は仏性というものを引き出すように拝むと同時に自分の中の仏性というものを育む
そんな感じになっていくと、仏縁というのがぐぐーんとこくなるんじゃないでしょうか?
祈願が叶う叶わない、仏様に守っていただく云々というのは、
結局はどれだけ仏様とのご縁が深くなるか、そこなんだと思うのです
単に拝むだけよりも、自分の仏性を磨きながらということが仏様が一番望んでることなのかもしれないですな~と思う今日この頃ですが
あくまでも私が思ってることなの正しいかは知りません
ただそれが進んでいくといわゆる感応同行というものが起こってくるのだと思うのです
いわゆる拝んでる最中に仏様と交流(教えてもらったり)することができるというね
集合無意識でつながってるのですから、仏様の色濃い仏性(性質)
と自分の中の同じ性質が大きく大きく拡がってつながるわけですから
そりゃあお互いの心が通じるのではないでしょうか?と思います
たまにはまじめでスイマソン(BYモンキッキー、元おさる)
そういやあ相方の元妻は今じゃ副大臣だもんな~