知人が昭和の政界のフィクサーだった霊能者さんに視てもらいに~と書きましたが補足
その霊能者さんはどうやら神様にお伺いを立てて神さまの言葉をお伝え~といういわゆる巫女型
昭和のある時代までの大霊能者なんかによくあるタイプの方
相談者が来ると神様に聞いてきますと言ってお隣の部屋に入っていき祭壇を拝む、祀る
そこで神さまの声を頂いてくる
そんな感じ
これが大事なのです 今の時代でもよくわからない霊能者もどきだかチャネラーさんだかが高次のれいやお不動さんなんかを降ろしたり対話したりするじゃないですか
さてそのお不動様祀ってるの??高次の霊は日ごろから祀ってる?
そこが大事だと思うのです
先ほどの霊能者さんやいわゆる前の時代の大霊能者さんたちがコンタクトをとる存在って日ごろから祀ってる存在じゃないですか
もしくはその存在から縁をつないでもらった他の霊的存在
それが大事ですよね
日ごろからコンタクトとってない、信頼関係や場が構築されてない存在の声って怪しくない?
偽物かもしれないじゃんと思うのです
私なんかはその手の出どころが確信持てないものは信用しないっすもん
お不動様が現れて~云々と言う話、今でも結構あるじゃないっすか
ですが本来はどこどこのお不動様~と言うものなんですね
あちらがコンタクト~と言う場合や私を祀れー的なものって
あとですね 霊的なものをいじるようなことするのであれば
やはり護法神と言うものが憑いてないときついだろうな~と思うのです
上っ面だけの愛や光~とか言ってるようなレベルであれば、はっきり言ってお子様のお遊びレベルなのでまあいいでしょうが
これがガチの世界に行くとそんな甘っちょろくないじゃないっすか
やはり夜叉や羅刹のようなものなんかも相手にしないといけないでしょうしいわゆる冥府魔道の世界じゃないですか
いわゆる天河曼荼羅と呼ばれるものですが
よくできてますよね~ まさにこの世界!!なんです
左手一番上の蛇の頭に人間の身体~であったりそんな感じのものたちがうごめく世界だったりなのです
奥の奥の世界って
さてそういう存在達に丸腰で立ち向かえますか??
凄く思うのです
本来であればこういう魑魅魍魎と呼ばれるものたちを仏法に帰依させて
護法善神とすることが大事なのでしょうが
昔の優れた行者さんたちは多分そういうことができたのだと思います
さてこういう方たちはどこにいるかと言えば、人間の集合無意識化なんかの源意識なんかを具現化するとこんな形なのでしょうし
意識上の意識体ではなく霊体としてもやはりいるのだと思うのです
平安京なんかの百鬼夜行のように
ちなみに天河って行ったことはないのですが
なんとなく山全体がこの曼荼羅の世界のイメージなのです
当然魑魅魍魎なんかもたくさんいて清濁併せ持った山
逆にいえば聖ではなく濁というもの この存在も大事で
それらの濁と言うものの存在がいわゆる芸能という我々庶民を相手に~
そこに働いてくれるのではと感じます
芸能って昔から下世話な世界で決して聖なる世界ではないじゃないっすか
場というものも新宿や渋谷のように盆地やすり鉢状の場所って聖ではなく下世話なものたちが集まる場所でして(餓鬼なんかも)
だから栄えるということがあるのです
大衆なんかを相手にする芸術ではなく芸能という方たちにはやはり相性が良いし力を貸してくれる感じがします
逆に大衆を相手にしない芸術という世界は、芸能で~よりも働きは弱いのかも
案外こういうとこなので宮司さんなんかも聖しか持ってない方よりも
下世話で濁を持った人物の方がうまいこと行くかもですな~
多分黒田清子さまのような方はここの宮司さんには向かないかも