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古都鎌倉は発展ではなく霊的な防衛を考えた都市

鎌倉って実はなんともいえない怪しさがいまだにあるでしょ?

街全体が古都というだけでは説明できないような

昼なお暗いと言うか。

 

京とは又違った意味の怪しさという

京は都の怪しさ

 

上手くはいえないが平安時代の

あの百鬼夜行のと言うか、それこそ陰陽師が活躍しそうなね。

 

で鎌倉ってもっと葛城山中の

鬼やらの怪しさに近い感がありません?

お隣の藤沢や逗子と比べても

ガラッと空気変わるでしょ?

 

それこそ江ノ島、稲村間なんか

目と鼻の先だが江ノ島は藤沢市に空気で

稲村ガ崎は鎌倉の空気でしょ?

 

その辺りを今度観察してみようかな?と。

でこれは私の勝手な推測ですが

鎌倉に幕府を開いたのって

三方を山であとは海に囲まれて

防衛上の利点のみで選んだのではない感じがするんです。
もっと霊的な部分でもこの地を選んだような感が。

 

当時の仮想敵って西国(朝廷)と奥州でしょ?

多分大江さん辺りは

朝廷の霊的な力には絶対に勝てない

と考えてた感じがするんです。
朝廷が当時の最先端の霊的な術を

使っているが関東(当時の感覚では東国は日本の
さいはて、奥州は日本ではない)

の田舎ではどうあがいても

その最先端技術は手に入れられない、

ならば同じ土俵で戦わずに

より洗練されていない野生の力(?)

を使おうと考えたのでは?
その野生は正直まつろわぬ力なので

其処に武神でもあり源氏の氏神でもある

八幡を持ってきて意識の方向をつけた、

と同時にこの力は結構奥州の霊的な力と同種であるから
それならば八幡太郎が

奥州を征討しているので

同時に奥州対策の旗印としても
絶対に八幡を中心にすえる必要があったのだと思います。

ですので中心地に鶴岡八幡宮を持ってきた

 

八幡宮を中心とした街作りにした
普通だと都の中心は大極殿(でしたっけ?)

をおき天皇の力を中心におくのですが
(平安京や平城京、時代が下がるに従い天皇の意向も下がっていくと

都の中心が対局電ではなくなったという説もあり)

鎌倉では八幡を置いたということは

どう考えても八幡の力で、と言うことだと。

逆に鎌倉殿の威光で(頼朝ね)

だとしたら政所とかを持ってくるでしょ?

 

いわゆる幕府と言ういわゆる大蔵御所と呼ばれる政治の中心的な場所は

八幡様のお隣りでして

 

普通であればそこを鎌倉の中心にすると思うのです

今でも鎌倉のメインストリート、若宮大通って由比ヶ浜から鶴岡八幡様への参道じゃないですか

 

これって鎌倉と言う都市を頼朝が作った時の最初に作ったメインストリートであり本来であれば政庁である大蔵御所に向かうべき道なんですよね~

 

それを八幡宮にまっすぐに向かわせるというのは完全に八幡宮の威光によって守られる街づくりなんです

三方を山に囲まれもう一つは海

鎌倉って今でも小さなスモールタウンですが当時は今よりもっと小さい都市でして

 

しかもそんな山と海に囲まれた盆地なので発展は望めない

どう考えても発展ではなく守りのための都市

 

そう考えると守りの要に八幡様と言うのはかなり霊的に考えられているんです。

 

もひとつ思うのが

土地の力以上に其処にいた物の怪(?)

の力を使おうと考えていたのだと。

なぜそう思ったかというと

実は源氏って元々ゴーストバスター

得意な種族なんです。

平安時代の源頼光(だっけ?)

なんかは完璧にそっちのマスターだったでしょ?
(酒呑童子なんかね)。
四天王を引き連れて都のゴーストバスターじゃん。

なのでそっちの力は元々あったのだと思います。

実は私の霊視でもっとも
その辺りの力の使い方に長けていたのが
義経であったのかと。
この人物も凄い霊的に面白い。
都の最先端の技術と

奥州の技術をマスターしてた感が。
でよりともが義経を抹殺しようとした原因は

勝手に官位をうけ、せっかく作り上げた
朝廷からの独立を根本から崩しそうになったこと、

(これ凄い大事)や奥州の恐怖もあるが

多分その辺りの霊的な使い手

と言うのも当時としてはとても大きかったのかと。

鎌倉武士団にすると義経は全くつかみ何処のない

巨大な恐怖だったと思います。
そりゃそんな男は生かしておけないでしょ

時間がなかったので6年くらい前の記事ですが

義経は やはり 毘沙門様でしょうなあ~

手に入れた最先端の呪術って 当時は陰陽ではなく

密教が最先端技術であったのですから

この方 戦に望む際 必ず調伏祈祷してます

というか させてます

ま、当時はどなたもしてたと思いますが

(鎌倉は実は微妙な気も そこまで都ほどは)

義経の配下ってかなり怪しいじゃん 修験であったり

弁慶だって比叡の僧兵ということになってるでしょ?

しかも 都落ちした義経って 比叡山の僧兵がかくまったとか言われてるし

思い切り 密教呪術なんですよね~ この方

過去記事にも書きましたが 奥州秀衡さんが 義経を迎え入れたのって

もしかの際の 保険的意味合いと

都最先端の呪術をほしがったんじゃないかなあ

特に鞍馬を抜け出した時の奥州は

もっと言うと 義経という存在もだが

本当は呪術の知識にたけた 天台の祈祷僧(僧兵も兼ねたような)

達を期待してたと感じるのです

当時の最先端の呪術=現代でいえば原子空母であったり

核の技術であったり そういう感じですから

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