修験の作法を観て思ったことがありまして ああ、僧兵は強いなと
これ、僧兵=宗教がらみの兵隊という意味ね
そういえば日本を代表するお強い方、弁慶さんも僧兵ですもんね
信長が出現して、専属の兵隊さんというものを作るまでは、日本の兵隊さんって大将クラスをのぞいて皆さん普段は農民ですからね
そう考えると、大きなお寺の僧兵って農作業をせずに戦の練習なんかしてそうなのでもしかしたら信長以前の最強の軍隊だったかもと思ったりです
鎌倉時代のいわゆる強い板東武者たちだって普段は農作業ですからね
案外僧兵最強集団説ってありかも??
イスラムも浄土真宗の一向一揆も
修験作法って宝剣や斧、弓なんかをもってお同師さんなんかに挨拶してから弓をいったりするわけじゃん 斧を振ったり
これって例えば一向宗なんかでいえば 座主の前でただいまから戦ってきます!!
というわけでしょ?
多分天皇でもどうにもできなかったいわゆる南都や白川天皇でも鴨川の流れ、サイコロの目とともにどうにもできないと嘆いていた山法師(比叡山の僧兵)なんかも
そうでしょうし(比叡山の場合は日枝神社の神輿をもってということですが)
座主=当時でいえば神にも等しい存在で その生神様の前で誓っていけばそりゃあ死も恐れずに戦うでしょう
死兵(死を恐れない兵隊)ほど恐ろしい兵隊はいないとは言いますが まさに
逆に神の名のもと仏の名のもとの聖戦に参加しないほど罰当たりはないですからね~
今よりも信仰心が何倍も強かった時代で
それこそ当時の浄土真宗なんかは生きてるこの世の幸せなんかは望めないご時世なので
死んだらすぐ阿弥陀様の浄土に行くことのほうが大事だったわけじゃないですか?
この聖戦に参加しないものは死んでも阿弥陀のもとには行けない!!と言われてるのですから
だったら喜んで参加しますよね
実は名古屋と長島スパーランドってすぐ近くで
その長島町って信長が一向宗を根絶やしに焼き殺してたりして
その舞台の2万人近くが焼き殺された長島城跡が長島町のどこかでして
何度行ったりしてます はい
場所は内緒
すんでる方たちもいらっしゃるでしょうし
なので感想も内緒
のどかな田園風景の良い場所ですが
なぜかざわつきますな ははは 実は弥冨~長島町あたりって のどかなはずなのに
ざわめきます
いわくつきな場所だったりもですからね~
長島一向一揆があのあたり周辺ですから
お隣の桑名市と空気違うのです
ちなみにそのあたりに秀吉の陰陽刈りで
都から流された陰陽師たちが住み着いて末裔の方なんかもいたりなのです
怪しい場所!!
ちなみに津島も独特の空気ありますよね
津島神社があるせいかわかんないですが