正しいかどうか 真実なのか?
悩むじゃないですか?人間って
物事が起きました さてそれをどうとらえますか?
これって仏教でいう色というもので
現実にはそれがただあるだけなのです
離婚をしました 現実は離婚をしたという事実だけ
それに対して 浮気した旦那を殺したい
若い女と一緒になれるからうれしい
それを色といいまして
ま、勝手に物事に色を付けちゃうのですな 人間って
ですがその現実だってじつは疑わしいのです
自分の目の前の 壁 赤く見えるから 赤い壁が現実と
思うでしょ?
でもこれって 光の屈折によって頭の中で勝手にそう変換されてるもので
例えば 同じ壁を見ても 視野が狭い障害の方が視たら
幅が違うでしょ?
色盲の人が見たら 違う色でしょ?でもその方たちにしてみたら
それが現実
動物なんかが見たって 見え方違うじゃん?もっとぼやけてみえる
ウサギのようなものもいるし
虹だってアフリカ人かなんかは7色ではなくもっと多くの色と
認識じゃん
でもその人たちにとってはそれが現実
何が言いたいかというと 我々が認識してる現実も
世界も案外あやふや
そのあやふやな世界で一喜一憂するのは 人間ですもの
仕方ない
ですが そのあやふやなもので 絶望するのはあほだなと
ある人にとっては 絶望するものも ある人にとってはどうってことない
同じ事象をみても だったら どうせ生きていくんだから(長い、短い
はありますが どっちも死ぬまで生きなきゃいけないのですから)
だったら絶望せずに生きたほうがいいよね って話
それはごまかして生きてるだけでしょ?
という方もですが
別にごまかして生きてたっていいじゃん 何がダメ?
自殺したら地獄行きます これだってさあ 本音はわからんじゃん
証明できないじゃん
私 もしかしたら昔の立派な方が 自殺防止のための方便
として 広めたんじゃないかなあと思ったり
話のもととなるのは その前から伝わってって
それで よし、これを広めたら 自殺者減るぞ だったら仏教
で広めちゃえ~的なさ
でも大事なことじゃん これで何百年も自殺の抑止力になってる
んだからさ
どうせ現実なんかあやふやなんだから
自分に都合よく解釈して 楽しく生きたほうがいいよね
判断基準って 道徳というのが前提で
それさえあれば 正しいより楽しいもありかな~
ま、正しいに越したことはないけど
正しさの追求は鬱になるよ~
それに 時代によって正しさの判断基準は変わるしね~
と思ったりで ま、考えの一つって話