治長さて日本史のミステリーの一つ、秀頼のお父ちゃんは本当に秀吉だったのか?の続き
大野治長説もありますね~
ただ私は三成説かな
淀殿と同じ近江というのも大きいだろうし
なんとなく 関が原で実質西軍の将として
立ったのも納得が
秀吉は三成の才気というもの
それをわが子に欲したのかもですね~
将としての器やかわいがり具合でいえば 見た目も麗しい宇喜田秀家なんかうってつけと言う気もしますが
秀家の母ちゃんまで愛しちゃってたのですから
ですが三成なんですよね そこの信頼関係って何人にも分からないほどの 深いものがあったのでしょう
コメにあった 北政所黒幕説 マジでありそうな気もしますね
おみゃーさん、豊臣の将来考えたら~とかって
寧々様なら いいかねないし言ってもおかしくない気もします
秀吉の発案でなければ 政所様でしょうね
さてこのあたりは 資料が発見されてないとばっさりですが
ま、そんな資料残ってるわけないですよね 政権の最大のトップシークレットですから はい
秀頼誕生で 狂ったの?と言うように狂気じゃないですか?
その後の親バかっぷりも これも 実は演じてた可能性あるかも?
必要以上にじゃないですか 悟られないためだったのかも?当初は それがだんだん 弱ってきてかつ 痴呆も入ってきたと言うね
とここで 仮に三成の子供としたら 秀吉は養子の
秀次よりも 三成のほうがかわいかったのかも?
とおもったり これは十分あるかも 親戚の子供よりも
自分の弟子のほうがかわいいと言うことって
しかも三成さん 秀吉にしたら最も信頼できかつかわいかったんだと
自分の死後 淀を任せれるのは三成 とおもってもおかしくないかもですね
もし三成がもっと血筋がよく大身の身であれば
秀吉が死ぬとき、三成に淀をもらってくれんかと言う可能性は
どうですかね~とかなり飛躍ですがおもったりなん、三成にですが
そこまでストレートではなくとも案外もう少し柔らかく今後を頼むぞというのはもし秀吉がボケずにクリアな頭の状態であればあったかも?
戦国の武将たちって我々が想像できないくらいに現実的だったと思うのです
それこそ旦那が殺されて、殺した相手の性質になっちゃうという現実もある時代ですから
秀吉ほどの頭の切れがある方ならとかなり飛躍ですが ははは
ま、歴史は 想像(夢想?)すると面白いもんだなと
説としては面白いでしょ?