ご眷属をつけるつけない云々の続きになります
家系についてたではなく、本人にという場合ですが、これは基本的に受動的にになっちゃうんじゃないかと思います
あちら様が気に入った云々でこちらには選択肢は基本ない
普通に考えればどっちが上位概念かわかるじゃないすか
下位のものが偉そうに上位のものをつけて守ってもらうなんて土台無理
何かしらの理由でついていただく、これが基本です
一番多いのはやはり何かしらの縁があった、
ま、全部この世界ってそれでおしまいなのですが ははは
なんで??って縁があった、因縁があった、それだけなのです
この人にはご眷属様がつく因縁があったから、おしまいではOIOI
と突っ込まれそうなのでもう少しお話を
眷属さんがついていただく理由というのを考えればわかりやすい
要は気に入ったから、もしくはこいつのために働きたい理由があったから
基本この二つなのです
何故気に入ったか、というよりも眷属(神仏様の従者としての)であれば普通に考えてよい性質の方たちじゃないですか
そういう人たちが好む人物像を考えればおのずと答えは見えてくる
こいつのために働きたいもおなじです なぜに協力してくれるのかを考えましょ
これに関連して眷属様なんかを拝み倒してついていただく
そんな方法もあるのでしょうが、そこも気をつけねばです
拝み倒してつくものが本当によろしいものかそうではないものかというのがあるのです
拝み倒す先がどこに向かうか、そこまで考えて拝まないとすごく危険なのです
神仏様に向かうベクトルの意識や願望なのか、もしくは常髄魔と呼ばれる魔の世界に向かう意識なのか、すごく重要です
同じ意識の質量なんかで拝み倒しても内容によってはベクトルんお方向が真逆に行きます
しかも質量同じでも届くスピードというのは魔と呼ばれるものの方が早い
私の感覚ですと神仏と魔という者のいる位置が、魔と呼ばれるものの方がこの世なのか、我々人間界かは知りませんが近い
多分人間って強欲な生き物でもあるのでその性質に近い存在だからなのかも 欲しい欲しい、どれだけでも欲しい的な
逆に考えれば我々人間が放つ意識、これが欲であったり嫉妬や恨みというものよりももっとよろしい意識のほうが強かったり思えに出れば(自慈悲云々)魔というものよりも神仏おいうものの方が近くにいる存在になるのでしょう
ちなみに人間界でも同じですが、魔という存在は、我々が来るのを今か今かと待ち構えてます
それどころか詐欺と同じで積極的に餌までまいててくれます
至れり尽くせりですな ははは
神仏様たちなんかは逆に積極的に待ち構えてたりしない気がするのです
あくまでも待ちの姿勢と言いますか
ま、本人が気づくまでほっときますか、しょせん本人の意識が変わらない限りどれだけ手を指し伸びてもその場限りで根本は変わんないし
そんな感覚なのかも
その場限りは何度やってもね~ そんな感覚かも
ま、そのあたりはいわゆる尊格というものによっても手の差し出し方は会うと思いますが
お地蔵様のような方は、その場限りと分かっていながら手を差し伸べてくれそうじゃないですか
何度でも何度でも
母性的な感覚に近いと言いますか、赤ちゃんなんかが何度も同じ失敗してるのを、あらあら、またやってしまったのねという感じで何度も
オムツ換えてあげる、そのうち成長するでしょう、それまではね
そんな感覚もあったりするのかもですな
ということで続きます