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祈願を通すのに大事なこと

さて祈願のお話です 如意輪様いわく

人々の願いも苦しみもです、行者が背負う必要はない

どれだけその方たちが辛いかを共感しそれを私に伝えなさい

教えなさいって、おっしゃってますな

結局どれだけ激しい行をつもうが法力を得ようが
人々の心に寄り添えない人には神仏は動きません

そんな感じなのです はい

やっぱですね、社会でいろんな人と出会って経験して

喜びも悲しみも共感できる心ですね、、そこをはぐくむのが
大事なんです

えらそうなことを言いますと

人間人さまと同じ経験なんかはできないですし、ほんとうに理解はできないかもなのですがなの、共感はできます想像はできますって感じで

辛い思いをすこしでも汲み取ってそれを何とかしてあげたい

多分そういう気持ちの積み重ねなんでしょうねえ

ほんとうに必要なことってどれだけその共感できる幅を広げれるか

困ってる、悲しんでる方の気持ちだけではなく

その人を取り巻く大切な人たちがその人を失うことで
どんなに辛いのか、、まだまだ必要なのか

その声までも神仏に届けるとよいのです

そんな感じもあるかもですね
神仏ってちゃんとわたしに教えなさい~

伝えなさい~って言ってますから

それが聞こえないのはただひたすら一方的に
お願いを通そうとおそうとするからではないかなあ

とえらそうですが おもったりの次第であります

行者さんでも霊能者さんでも、俺の力で何でもできる、病気だって治せるし開運だってできる

俺が頼めば神仏は動く

そういうのは当たり前ですがあかのでしょう

人間の力なんか高々知れていますから、そういうのは思い上がりというのだと思います

伝える力とかいう斎藤孝か誰かの本が以前売れてましたが

神仏様にも結局は伝える力というのが一番大事なのでしょう

そのつたえる力の要素の一つがもしかしたら共感力であったり、

なんとななるといいよな~云々という慈悲の気持ちであったり

そういうものなのでしょう

 

御仏は供物そのものよりその心を喜ばれるとよく言いますが

結局お願い云々も、神仏様が喜ばれる心でお願いというのが一番大事なのではないでしょうか

そう考えると神仏に好かれる、嫌われる心持というのもおのずとわかってくるよな来ないよなですな

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