お寺へ行ったりしたときに仏様に会うじゃないですか
お願いもいいですがに、懺悔、ということもしちゃいましょ
誰にもいえない悩みや誰にもいえない悪い行い
嘘やらすべて仏様に聞いてもらいましょう
人間って過去に行った悪いこと
自分ひとりで内緒にしててはだめなのです
誰にもいえない悩みということもなんていうものは、自分ひとりで抱えてる限りどうにもなんないのです
洗いざらい話をして表に出してそっからスタート、再出発なのです
神父さんやお坊さんん、医者、やカウンセラーにもいえないこと、人間たくさん抱えてるじゃないですか
というか本来人間なんてそんなことばかり抱えてると思うのです
カウンセラーさんなんかで悩み打ち明けたり自己開示したりだって、結局は開示できる範囲内なんだと思うのです
本当の意味のジャッジされる領域のものって開示してない
というか人間には防衛本能があるから開示しないようにできてると思うのです
逆にカウンセラーさんなんかが技術でそこの扉を開けてしまったらもしかしたら収集できない、崩壊してしまう場合もあるんじゃないかと思うのです
私だってたくさんありますから ははは
人間が生きていくってそういうことですから
誰にもいえない悪い行いや思い、悩みも抱きながら
生きていくのです
人間だもの
だからといって人間聖なる部分を求める生き物でもあるじゃないですか
一人で抱えていくのはあまりにも苦しいです
人は人を裁こうとするじゃないですか
裁こうとしなかったとしても懺悔するほうは裁かれるんじゃないか、軽蔑されるのでは?と怯えます
中々いえないです
言えることって結局自分の中でここまでならというものだけです
逆に全部吐き出せせる人がいるとしたら、崩壊してる人なのかも
人格的にも社会的にも精神的にも
仏さまはジャッジしません(多分)
ただただ聞いてくれます(多分)
最近我が家の如意輪観音様がそういいますから
私にすべて話しなさい
裁きもしませんよ~って(仏様によっては違うのでしょうが、何となく観音様の様な慈悲の仏様はそんな感じがします)
ま、そっから先のいい話もありますが それは次回(といってええ話しの続編を書いたことはないですが ははは)