コロナの恐怖やそれに伴う不況や倒産、失業の恐怖である意味世紀末の様相じゃないですか??
てか,ノストラ予言の人たち、このコロナが恐怖の大王の正体で空から降ってきた~とは言わないんですかね??
北斗の拳でもそうですが世紀末になると人々はメシアを求める
救いの希望として
多分この国でも大小(多分もう大はいないでしょう、霊言のあの方以来)様々なメシアが現れ様々な救いの方法を提示してる
皆さん、メシアは聖人君主であり、我々はその教えに従えば必ず救われると思い大金をつぎ込むのですが
さてどうよ??と思うのです
人間に聖人君主なんて絶対いないじゃないですか?
聖人君主だとしたら生まれ変わっていないと思うのです
聖人君主というのいは目指すものであって、決して生きてる間になれるものではない。そう思うのです
どんな立派な人だって生きてれば裏もおみてもあるじゃないですか
球界の聖人と言われる王監督だって若かりし頃の悪太郎堀内を鉄拳制裁してるし、理想の教育論のように話せばわかる、でもなかったじゃないですか
聖人君主になんて絶対になれない人間様に皆さん依存していく
それって凄く危険じゃないかと思うのです
神さまや仏様ではない我々ってどれだけ素晴らしい人、人のためにという生き方を実践してても絶対にどこかに本当のピンチになったら家族や自分の命や生活を優先しちゃうと思うのです
人間の根底の生存本能があるから 人間だもの
そんな人間という生き物に依存したら結構危険じゃないか??
本当に困って最後の最後にはしごを外されちゃう可能性凄い高いと思うのです
それに人間というメシアって我々が一番望む、生活の面倒は見てくれないじゃないですか
皆さんメシアに臨むことって恋愛や人間関係、病気もありますが多分一番って生活、生きていくことへの不安を取り除いてほしいだと思うのです
恋愛だって若い頃なら純粋に好きな人と一緒にですが
社会に出ていくと、それだけではなく将来の生活や孤独の不安の解消としてという意味合いだってかなり出て来る
だって一人で生きてくって普通は不安じゃないですか??
人間というメシアってどれだけ依存させたって、アドバイスくらいしかできないんですよね
結局は生活が破綻して本当の意味の助けを求めても手は差し伸べないじゃないですか
どっちかと言えばもうお布施も会費も払えないなら来ないでね
そんな感じになりかねない 依存した先に何があるのだろう凄く思うのです
ま、人間だから誰かに依存したくなるのはすごく分かるのですが
その依存って本当に困ったときに助けてくれる依存相手かどうか見極めたほうが絶対良いと思います
中にはあの先生の祈祷が凄く効くからという依存もありますが
本来でいえばその先生は取り次いでるだけで助けてくれるのはそこの神仏様じゃないですか
なので信仰の対象はその先生ではなくそこの神仏様なんですよね 本当の信仰って
そこの先生は本来は神仏様の取次という立場じゃないですかそう考えればその先生のことだって見極めれる
仮にその先生がどえらいことを言いだしたとする
神さまってそんなとんでもないこと言うか??
生活が破綻するような額をお布施させるか??と思うのです
それ勝手にあんたが言ってるだけじゃないのか??
逆に純粋にそれも神様の言葉として取り次いでるとしたら、そこの神さまって神様じゃなくよろしくないものなんじゃないか??と思ったりもするのです
これからの不況時代、困った時ほど人間よーく見極めねばです
だって困れば困るほどそこにつけこむ詐欺が横行しますから