記事検索

レスポンス広告

命は誰のものか??残されたものの悲しみと

何人かのかたに病気用のブレス組ませていただいてます

お父さんお母さんが癌という方が多いです

私のブレスで効果があるか分からんですが
こんなつもりで組ませていただいてますというのを

たとえば 余命3ヶ月だったとするじゃないですか

それを完治するに越したことはないですがが、3ヶ月が半年生き延びたとするじゃないですか?

私の父も癌になったので家族の気持ち分かるんです
その伸びた3ヶ月、たった3ヶ月がうれしいしとても大切なんです

たった3ヶ月でもなくなって落ち着いたときに

お父さん3ヶ月よくがんばったよね、って家族で言えるだけで貴重な時間ですし

お父さんは3ヶ月辛いかもですが家族にとっては宝物になるんです

なので3ヶ月がまんしてね

ははは

命は本人だけのではなく家族のものでありかかわるすべての人のものですから

いつも言うように

それとかですね、

結局3ヶ月でなくなっちゃっても一時的にでも状態が落ち着いて

一時帰宅できたり回復の兆しがあったというその事実だけで

家族ってうれしいんです

宝物なんです

 

残されたものて、お父さん頑張ったよねとかって思いたいんですね

そりゃあまりにもつらそうなのはあれですが

最終的に亡くなったとしても、ご飯も食べれるようになってたし

よかったよね たっぱりあの人先祖の加護があったんだよ

運がよかったんだよって言いたいじゃないっすか

なのでほんの少しだけでもそのお手伝いになればと思ってたりなのです
やはり意識不明になっちゃって回復の見込みがなくても

一瞬でも何か変化があるだけでうれしいじゃないですか?

それこそほんの少し指が動いた、目が開いた

そんな程度のことだって家族にとっては大きい

残されたものはそれだけで、残りの何十年間良い思い出の中で生きていけるのです

お父さんの最後を思い出すときに

ふわ~っとやわらかい気持ちになれますから

と思ったりなのです

はい

私、病気も介護もですね

ご本人もですがじつはそれ以上にご家族様の

フォローといいますか

精神的にも現実的にも手助けや緩和が必要だと思ってるのです
仏教ってなくなった方のためのものっておもうでしょ?

本当は残された家族や関係のあった方たちや

今現実に生きてる方が希望を持てたり生きやすくする知恵のものであってほしいと思ってるんです

だってさあ亡くなるかたはさ

さくっと自分だけで行っちゃうわけじゃん
もしかしたら極楽浄土でメッチャいい世界で生きてたときのことや家族なんかもすっかり忘れるくらいの極楽かもじゃん

 

亡くなるって実は私なんかは新しい世界に行くことで

結構わくわくだったりするかも?と思うのです

逆に残された者たちって、その後何十年も亡くなった方を思って生きていくわけじゃないですか

 

残された者たちが少しでも悲しみが減るようにというのてすごく大事だと思うのです

結局それって時間様しか解決できないけど

時間様の解決までには時間が長すぎるよな~と思ったりもします

月間人気記事ランキング

投票お願いします

ランキング

レスポンス広告

-グダグダと日記風