陰陽道なんかでは何かよろしくないことが起きたりすると祭りをして原因を鎮めたり取り除く
それこそ安倍晴明の時代から現代でも四国のいざなぎ流に至るまで
と偉そうに書いてますがすべて書籍や資料の知識です ははは
さてその祭りの前に必ず占いを立てて神意をうかがっていた
平安の頃の場合は原因として呪詛や方位や時間がよろしくないという答えが多く、
いざなぎ流の場合、四国の山の中という地域性のためか、山の神の祟りというのが圧倒的に多かったらしい
因みに平安期の陰陽道を調べるには公的な記述はほとんどないので、
御堂関白記のような当時の貴族の私的な日記から調べるのが基本とされております
実は私、その真意をうかがう占いの結果というものについて長年疑問を感じてたのです
現代人の感覚でいえば、占いの原因がほとんど同じってどうなんだろう?って思うじゃないっすか
原因って人それぞ入れの環境や因縁によってもっと多くないか??
それをなんでも呪詛や方災、山の神の祟りなんかにもっていくのは
乱暴すぎじゃないか?
もしくは形式化しすぎじゃないか?
陰陽道手いまいち乗れね~な!!と
術としての陰陽道はまだしも判断としてはちょっとな~と思ってたのです
原因が微妙でも結果が何となく効いちゃうというのは、相手にプラセボを効かせちゃうくらいの芝居がかった言動込みだろうな
晴明さんの伝説なんか読んでると(というか芝居がかった言動がメインかも、祭りもある種にパフォーマンスの一種として)
そんな感じで見てたりもしてたのです
が、先日ふと思ったことがあったのです
神意を問う占い、これって実は大事なのはぢンな原因かを探る結果が大事なのではなく、
まずは何はともあれ、神様に問うということが大事といいますか
何よりも神様を立てる、その行為が必要なのかも
別にどんな原因でもそこまで問題はなく、神様をたててますよ、
神の意思を聞かせていただいてますよ、その行為によって神霊が動くんじゃないかと思ったりなのです
いざなぎ流なんかだと神意を伺い、祭りをやって、その祭りで十分なのかとまた占いで神意を聞いて、不十分ならまたやり直す
これを繰り返すじゃないっすか
その占いなんかも結構アバウトだったりで、数珠もって偶数なら神様も満足で奇数なら不十分、そんな感じじゃないっすか
陰陽道なんかだと六壬なんかを使ったとありますが、たぶんああいう高度なものって結局は学のある都の安部家や加茂家のような規則社会の陰陽師くらいしかできなかったと思うのです
我が家のほうの田舎なんかでは、そんな基礎学力(文字をよいんだり、内容を理解したり)って昔はなかったんじゃないかな~、少なくとも江戸の後期あたりまではと思ったりなのです
そうすると自然に占いなんかもシンプルなものになっていくというね
うちの方は結局昔は米占いだったそうです
米取って奇数か偶数か的な
今の知識を持った占い師さんにしたら噴飯ものの内容じゃないっすか
たぶんそんな占いでも神意をうかがうことを最優先という行為が大事だったのかもですな
その真意を聞くで浮かんだ疑問がありまして
其の神意の神を、どこを意識してるのかな?と
多分安倍家のようないわゆる官僚陰陽師の流れのとこは、天文なんかもごとの柱の一つなので太一というような、宇宙の中心と言いますか
宇宙というものを意識してたんだと思うのです
星の運航を見て天空に異変があればそれを天皇に奏上するのがお仕事でしたから
さて、うちのような田舎の民間陰陽師の場合は?
凄く気になりますな、いざなぎ流にしても全国津々浦々にいたであろう
民間の陰陽師さんたちの場合は
現代であれば、場を取るという発想かもですが
江戸の前期あたりまでで、学のない田舎もんのはっそうで、場とつながる、そんな発想はなかったと思いますし
かといって星の神様(妙見様やら)に伺うというのは多分僧侶のような知識層しかの気もしますし
となると身近な山の神とかそんな感じになったのかもですね
そこは地域性でいざなぎのような山奥で普段から山を意識してきた人たちは当然山の神で、回答も山の神の怒り中心になるでしょうし
海を意識してる海の民であれば海の神だったかもですし
ま、そのあたりは想像ですが