鎌倉時代に日蓮さんと極楽寺の名僧,忍性さんが雨乞い対決を行い
日蓮さんが勝ったという伝説があります
忍性さんは別名良寛さんとも言い、鎌倉の病気の人たちの治療なんかもたくさん行った名僧として名高い方(特にハンセン病患者)
祈祷もよく行ったようで死者の死後硬直を解く祈祷なんかも行ており、
その際は土砂加持した土と水銀が祈祷を受け埋葬された死体から見つかていたりなので
良く呪術も知ってた方なんだと思います(昔は呪術には水銀は必須)
幕府からも圧倒的な信頼と庇護を受けてた名実ともにナンバーワンな
鎌倉の名僧
雨乞いなんかも何度も成功してたらしい
ま、結果は忍性さんが負けたそうです
7日間の雨乞い祈祷で勝負!!
日蓮さんは2日目に雨を降らせたそうです
日蓮さんがその時祈祷を行った場所がこちら
腰越と七里ガ浜の中間あたりの谷戸にある池です
ちなみに今は日蓮宗のお寺も立ってます
多分この池で八大龍王なんかに雨乞いの祈祷を行ったんじゃないかと感じます
民家の奥の小高い山、こちらに八大龍王様がいラシャってたんじゃないかな~と勝手に妄想
ちなみに散歩コースです
さすがに現在は龍王様もいない気がしますが ははは
ただ脳内のビジョンにはお姿は浮かぶのです
龍王と言っても龍の姿ではなくこんなお姿
人の姿をしてて、中国式の衣冠束帯、頭の上には緑龍が乗ってる
頭というよりも肩のあたりまでとぐろを巻いてる感じです
おひげは中国の大人(おとなではなく、たいじん)あごひげを長く伸ばしてる感じでもないです
ま、こんなお姿の龍王様に雨を降らせてくださいという祈祷してたんじゃないかと脳内妄想
ちなみに龍は人の姿をしてないとコンタクトとれないといいますね
多分日蓮さんんってこの手の神仏の姿が視えてたんじゃないかなー
そういう霊能を持ってた方だった気もします
ま、意地の悪いというか、普通の人なら、たまたま雨が降るタイミングで祈祷しただけじゃないの?7日も祈祷すれば1日くらいはふつう降るでしょ?と思う
ま、普通に常識的な解釈ですよね いたって常識的
ただそういう解釈をする人はこの手の世界には向かないのです
この世界の解釈でいえばあえて降るタイミングで祈祷を行った、
もしくはそのタイミングで祈祷をやることになっていた
そんな感じで場とつながっていたと解釈をするのです
当然場とつながりそのタイミングで呼ばれ、なおかつ祈祷の力もあった
そんな感覚っすかね
日蓮さんが祈祷が得意だったか、祈祷をよく知ってたかは知りませんが
ただこの時に祈祷で雨を降らしたということはそういうことなのでしょう
さてその後の忍性さん 普通は名が地まで落ちちゃう感じですが
その後も幕府から雨乞い頼まれたり、院宣でも頼まれてるから時の天皇から直々にご指名受けたり、死後は天皇から忍性菩薩というお名前までいただいてるので
少なくとも幕府や朝廷からの信頼や名声は落ちなかったのでしょう
多分幕閣や朝廷の間では日蓮が勝ったということは黙殺されてたのかも
(もしかするとWIKI記述のように日蓮からの挑発を受けずに雨乞い対決しなかった可能性もたかい)
何となく私の感覚では、当時の日蓮なんて単なる異端児なのでその相手と戦い勝利しても何の得もない、負けた時のリスク考えたら失うものしかないので相手にせずだったかも
後の日蓮宗なんかの宣伝や当時の日蓮さんの戦略で、我々は忍性に勝った!!そんな感じでこの伝説が独り歩きしたかもですな
ちなみに実際に雨は降らせた気はします
ま、当時の日蓮なんて単なる新興勢力ですから
新興勢力が名をあげるには巨大な既存勢力に喧嘩を振って、人々の前でこっぴどく勝つ、その姿を見せることで勢力拡大しかないので
ある意味戦略的にはただしいですが
日蓮さんの人生はたいへんだったんだろうな
ある種の阿修羅的人生で 普通の人だったら持たないだろうな