世界中でコロナウィルス流行の中、不謹慎なのですが広大な妄想を
妄想なのでつっこむなYO!!
拝んでる時にふと浮かんだことなのですが
毎年のように新型のウィルスやら出現するじゃないっすか
な~んとなくなのですが、新たに作られたというか生まれたというよりは実は元から自然界の中で共存してたんじゃないかな~と思うのです
例えば森や山やジャングルなんかに住んでて~
熊楠さんが愛した粘菌のように
それが自然破壊云々で共存できなくなったから山を下りてきた
もしくは土屋太鳳ちゃんのようなブリッコ喋りのナウシカさんのオウムのように人間を襲うようになってきた
自分たちの生存圏を侵されてやむにやまれず
そんなことがふと浮かぶのです(ま、妄想なので真に受けるなYO)
じゃあ人間は文明捨てろと言われればそりゃ無理に決まってる
自然と共存と言うのは理想ではあっても現実はなかなかできない
結局人類の進歩って自然の破壊とセットですから 太古の昔から
ただそれって人間側の大義であって破壊される側にしたら怒れちゃうよね~そんな話
修験道と言うものがありまして 山に入って修行したり云々なのですが
山と言うものはあらゆるものがやってくる場所とされてたという考えがありまして
福も病気も害なんかも山からやってくる
だから山に行って福が村に降りてくるように、害や病が来ないように
祈る、そういう役割もあったそうでして
案外そういうのも大事なのかもしれない 科学以前の時代って自然を敬って祈って鎮まっていただく
世界中どこでもあったことじゃないっすか
自然そのものを敬う場合もあれば、擬神化なんかして、山の神として祀る、そこに祠や神社を建てて祀る
結局グレタさんなんかも環境破壊をするなと叫びますが、私もグレタも生きる限りは環境破壊するんすよね
程度の差はあるし、意識の差はあるけどゼロにはならない
そう考えると自然に敬意を払うということと、進化と自然破壊というのも程度を考えなきゃいかんのかもですな~と思ったりなのです
天才南方熊楠さんが粘菌を愛し、粘菌が生育する自然の破壊に大反対したのも、考えようによっては人類を脅かすウィルスの怒りを鎮める~と言うことにつながってたのかもですなと
かなりの突っ込みどころしかない妄想ですが 妄想ってそんなものです
さてレポ